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第45話 白石 香代子 物語
見えてきた人生の新たな針路
管理栄養士として食の架け橋に
人材会社インテリジェンス大連のキャリアコンサルタント白石香代子は、管理栄養士としての〝顔〟も持つ。大学時代は栄養学を学び、卒業後は人材業務に携わってきた。白石には自分のキャリアを有機的に結びつける才能がある。これまでの経験を生かし、仕事に打ち込む一方で、食のエッセイを執筆してボランティアで料理教室も開催する。
「やっと自分のやるべきことが見えてきた。いつの日か、食の分野で日中の架け橋になることができたら」
大学生活4年間以外のほとんどを出身地の福岡県北九州市で過ごしてきた白石。遠く離れた海外で、これまでの人生を重ね合わせながら、新たな人生の針路が見えてきた。
引っ込み思案で家が大好きな幼少期
電源開発の関連会社に勤務する父、勝秋、専業主婦の母、和江、そして5歳年上の姉、里香、祖母の茂子。白石は仲むつましい5人家族の中で、愛情たっぷりに育てられた。家にいることが大好きで、優しい祖母も大好きだった。幼いころは体が弱く、病気がちだったからなのか、両親に一度も叱られた記憶はない。
引っ込み思案だった性格は、体力づくりのために幼稚園の時から通っていたスイミングスクールで少しずつ変わって行った。徐々に体が強くなり、小学生のころには、近所の田んぼでザリガニを獲ったり、小高い山を駆け回ったりするようになっていた。いまから30年ほど前の北九州市は、のどかな田園風景が広がっていた。
小学校、中学校とも地元の学校に進んだが、〝家好き〟は相変わらずだった。小学校から姉が通っていた珠算塾について習い始め、最終的には段位までとった。書道も高校まで続けて特待生を取得。ひとつのことに打ち込んで習得する粘り強さは、子どものころから備わっていた白石の資質である。
高校は里香が卒業した福岡県立八幡高校に進んだ。姉の背中を追って進路を決め、自分の意思で冒険することはなかった。両親にとって、安心できるいい娘だった。通学はバスで1時間半かかったこともあり、運動部の部活動はあきらめて、文化部の茶道部に入部した。「お菓子が食べたい」と言うのも、茶道部を選んだ理由だった。礼を重んじる日本文化であり、心落ち着ける空間に身を置くことのできる茶道。茂子が生花の免状を持っていた影響なのか、白石にとって居心地の良い時間であり、面白さも感じた。部長を務めるほどのめり込んでいた。
その一方では大学進学もしっかりと見定めていた。薬剤師志望で理科系を選んだ。幼いころの病院通いで、薬品の臭いにも慣れていたのだろう。小学時代の文集には「薬剤師になりたい」と書いていた。しかし、センター試験で失敗してしまい、受験浪人するか、入れる大学に滑り込むか、選択を迫られた。理科系でも物理学と数学が苦手な白石。「化学一本で入れる大学へ行け」との教諭のアドバイスもあって、山口女子大学(現在の山口県立大学)の家政学部栄養学科に入った。一浪した里香が偶然にもその年に卒業した学科であり、入れ違いの入学となった。
栄養士か美容部員か迷った進路
里香は公務員試験に合格して福岡県職員となり、白石は里香が住んでいたアパートで初めて一人暮らしをはじめた。同級生と深夜までお好み焼きパーティーを開いたり、山口市内の化粧品店で美容部員のアルバイトをしたり、家族の目の届かない自由を謳歌した。とりわけ美容部員は白石の新しい性格を作り出した。接客の楽しさ、社会と接することができる充実感−―それまでに経験したことのない世界だった。
美容部員のアルバイトは大学の4年間続け、社員同様の扱いも受けるようになっていた。大学で専攻した栄養士になるか、それとも美容部員になるか、卒業後の進路に迷った。しかし、将来への希望が一瞬にして途絶える悲劇に見舞われた。北九州市の実家で就寝中、急激な腹痛に襲われた。それは、息ができないほど強烈な痛みだった。検査の結果は卵巣腫瘍。白石は検査後の病院から泣きながら帰宅した。閉ざされた人生の進路、手術への恐怖感、絶望感に体がすくんだ。1999年春、22歳のことだった。
大学は卒業したものの入院。管理栄養士の国家試験は一年後の2000年に受験することになる。退院後、体調は回復して就職を探そうとするが、就職難の氷河期まっただ中だった。しんどい思いもするが、この入院で気づいたことも大きかった。会社を休んだことがなかった仕事人間の勝秋が、白石の手術当日は会社を休んで付き添ってくれた。母は毎日欠かさず病院に来てくれた。最終的には父が就職も人材会社の北九州支店に声をかけてくれた。両親の愛情に感謝し、その存在感を思い知ったのである。
大学卒業1年後に大手人材会社に入社。派遣社員を求める企業への営業や派遣スタッフの面接、指導、入社後のフォローもした。白石は間もなく月間2000万円を売り上げるトップ営業になっていた。また学生時代の美容部員の経験が買われ、自らが自社の派遣社員として資生堂北九州支社の店舗で働いたこともある。指導とともに栄養アドバイザーとして健康食品も販売、西日本でトップクラスの売り上げ成績を上げた。
北九州市を離れて大連に新天地求める
30歳を目前に控えた時、別の人材会社からヘッドハンティングされて転職。大手メーカーのリコールを処理するコールセンターに人材を送り込む業務で、多い時には150人の派遣社員を管理・運営した。この業務で白石は組織の大切さを学んだ。それまでは個人プレーで結果を残してきたが、とても個人では処理することのできないボリュームを前に疲労困憊した。そんな時に助けてくれたのが同僚だった。この時に出会った仲間たちとは、いまでも会って旧交を温めている。
ここでも業績はダントツで、社員総会で表彰されたこともあった。しかし、2008年のリーマンショックで業績が一気に悪化してきたことと、休日なしの激務がたたって体調を壊し、原因不明の高熱に悩まされて2年半で退社。そのころ、当時の同僚が中国の天津駐在となり、中国に目が向くようになった。「まずは語学から」と、中国語を習い始めた。軽い気持ちで取り組んだ中国語の学習だったが、指導を受けた中国人女性とウマが合い、働く場所として中国が視野に入ってきた。
中国大陸へ渡る日に備え、中国語の勉強と、体調を整える準備期間として化粧品通販会社に入社。勤務地は同じく地元の北九州市。チーフ兼管理栄養士として、仕事も充実していた。2年後に中国語検定3級に合格し、中国行きの条件がそろった。「35歳は中国への夢のラストチャンス」と転職活動を開始。2010年11月、白石は34歳を迎えていた。
しかし、中国で何をやるか、全く当てはなかった。とりあえずはインターネットで探したインテリジェンス中国に人材登録したが、その時は自らが人材会社の社員として働くとは思ってもいなかった。そんな時、友人経由で大連のBPO会社がマネージャーを募集していることを知り、2011年4月、視察のため初めて大連を訪れた。この時にBPO会社の社長に面接、即内定を取り付け、7月に再び来連して中国での生活が始まった。
ところが、就業ビザが取得できなかったため、登録していたインテリジェンス中国に相談したところ、「大連支店で欠員ができた。人材会社での勤務経験があるので入社しないか」。予想外の展開だった。運がいいのか、経験が次々とつながって行く。2012年1月、インテリジェンス大連のキャリアコンサルタントとして入社した。そんな白石に勝秋は、「お前は仕事に困らない星回りだなぁ」と感心したものだった。
生まれ変わっても両親の子どもで
管理栄養士として白石に気になることがあった。それは食材の衛生面である。農薬も気になり、キュウリやトマトは皮を剥いて食べていた。肉は一般の市場で買うことはなかった。しかし、そんな不安が中国人パートナー、侯翔との出会いで一変した。「そんなに危険だったら、中国人はみんな病気になっているさ」。呪縛から解き放たれた思いだった。それからというものは、野菜も米も肉も一般の市場で買い、日本と同じように普通に洗って食べるようになった。
生活面での変化もあった。「せっかく中国に住んでいるのだから、中国人が何を食べ、どんな暮らしをしているのか、知ることのできる絶好の機会」と、ローカルに身を置くことにし、住まいは日本人のいない大連郊外のアパートにした。聞こえてくるのは中国語ばかりで、本当の中国人の暮らしが息づいていた。小さいころは引っ込み思案で、姉の後ろばかりを追いかけていた白石の姿はどこにもない。自分の意思で未知の世界へ飛び込んで行くたくましさを、いつの間にか身に付けていたのだった。
「せっかくある管理栄養士の資格を生かせないものか」。そんな積極的な気持ちも沸き上がってきた。中国の食材や調味料も美味しく食べられるが、避ける日本人も少なくはない。正しい食情報を発信したいと、「Whenever DALIAN 美食生活」6月号からフードエッセイの連載をスタート。さらに9月からは、地元の食材を使った料理教室もボランティアで開き始めた。
様々な経験を積み重ねてきた白石は、自分の進むべき道が徐々に見えてきた。「日本人駐在者には健康面のアドバイス、中国人には肥満防止などの提唱を。最終的には、日中両国の食文化を結ぶ架け橋として役に立ちたい」。キャリアを取り込みながら成長する姿は、人材会社勤務の中で自然と培われたものだったのかもしれない。
そこには白石が選択した進路に、一切反対しなかった両親への感謝の気持ちもある。世界一寛大な父、世界一の理解者である母。北九州市を離れて初めてわかった。生まれ変わっても両親の子どもでありたい、と白石は思う。
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更新日: 2013-11-05
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