Whenever誌面コンテンツ

第22話 今村 真美 物語

20110905-ヒューマン.jpg

病弱を克服して到達した美の世界
真の美しさを追求する先駆者

病弱を克服して到達した美の世界

今村 真美さん

真の美しさを追求する先駆者

 メイクアップアーチストとして華やかな世界に身を置いて来た。スポットライトを浴びながらステージ上で美女を作り上げ、〝美〟を生み出すカリスマとしてもてはやされた。今村真美————日本で表舞台を歩み続け、この大連でも美容界の先駆者として誰もが認める。

 そんな今村には〝美〟への揺るぎない確信がある。言葉を代えれば生き方、人生の哲学と言っても良いのかもしれない。「美しさとは何か」「幸せとは何か」。本当の美しさは、うわべだけの繕いごとでは生まれないことを今村は知っている。健康な身体と精神、そして美容の知識と技術。この要素が満たされた時に初めて女性は輝きを放つ。そこには今村自身の人生が色濃く映し出されている。

小学3年生まで続いた奇跡の命の代償

 今村が生まれ育ったのは三重県・伊勢神宮の背後に広がる奥伊勢地方。バスの運転手山本四郎と豊子の長女として生まれるが、奇跡に救われた命だった。豊子は流産を繰り返し、出産は絶望的だった。そのころ、流産防止のホルモン剤が出回り始めたが、奇形児のリスクも伴う。両親は病院に誓約書を出してまで出産を望んだのである。
 待望の子どもが生まれたものの、死産に近い状態だった。産声はなく、ぐったりしたままだった。体温調整ができず、血管が詰まって汗も出ない。「このままでは死んでしまう」。病院の婦長と叔母が温湿布を続け、生気を取り戻したのは数日後だった。しかし、ホルモン剤の影響なのか、それ以降、今村は虚弱体質とアトピーに悩まされることになるのである。
 赤ん坊のころは顔が赤く浮腫み、頭には常に包帯が巻かれていた。小学3年生までは壊血病を患い、貧血状態が続いた。朝礼ではいつも倒れ、その度に保健室に担ぎ込まれていた。そんな今村の体質を変えたのは母豊子だった。あふれんばかりの愛情を注ぎ、壊血病にビタミンCが良いと聞けば肝油を食べさせ、体力をつけさせるため2人でバレーボールをして鍛えさせた。
 そんなころの思い出に、今村の心が温まるシーンがいまでも蘇ってくる。「お父さんが運転するバス」に乗るのが何よりも好きだった。3歳年下の弟敏也の手を引いて、四郎が運転するワンマン路線バスの時間に合わせて乗車し、お客がいない時には四郎の膝に乗って運転のまねをした。「お手伝い」と言っては車内アナウンスのテープも流した。のどかな車窓の風景も四郎の体温とともに心の中に広がってくるのである。
 小学高学年で健康を取り戻した今村は、地元の中学校へ進み、豊子の勧めるままにバレーボール部へ入部。虚弱体質がうそのように元気になり、校内マラソン大会ではいつも上位入賞を果たした。高校も地元の学校へ進学し、運動より芸術系に興味を抱き、選択授業は美術科、部活動は写真部に入って様々な対象にレンズを向けた。美しい娘に成長した今村は男子生徒から熱い視線を投げかけられるようになり、自宅へかかって来る電話を「真美はいません!」と切るのが豊子の役目だった。

結婚、出産、アトピーと波瀾万丈の20歳代

 そんな中で今村の心を動かしたのが、1年先輩の財産家の息子である。デザイナーへの夢をあっさり捨ててしまうほどの恋に落ち、高校を卒業した半年後には結婚、その1年後には長男を出産。今村は20歳になったばかりのことだった。しかし、嫁ぎ先は倒産してしまい、戸籍上の離婚で夫は大阪へと身を隠し、今村は奥伊勢の実家へ戻ったのである。やがて夫から「大阪でもう一度、最初からやり直そう」と声がかかり、復縁して第二の生活がスタートした。
 しかし、住まいは文化住宅と呼ばれた集合アパート。経済的にも厳しく、若い今村には精神的な抑圧がのしかかる。全身が赤く腫れ上がり、押さえきれないほどのかゆみを感じ、引っ掻いた皮膚から体液や出血が続く。アトピー性皮膚炎だった。悪夢の再来である。体力も衰え、絶望感に襲われる。そんなとき、友人から勧められて栄養学セミナーを受講し、如何に栄養バランスが大切かを知った。その後、大豆タンパクを中心にカルシウムやビタミンE、Bなどの食品やサプリメントを摂取し、半年後にはかゆみがとれて夜も寝られるようになり、ケロイドも治った。まるでセミが固い殻から脱皮するように皮膚は蘇り、本来の美しさも取り戻した。
 「如何に栄養のバランスが大切か、身を以て知った」。今村は目から鱗が落ちるような思いを実感した。その後、今村のもとにはアトピーに悩む人たちが救いを求めにやってきた。その度に栄養の大切さを説き、美しさの土台となる健康な体づくりのアドバイスをする。
 アトピーから解放された今村は美の世界へと一気に舵を切り始めた。ファッションでも良かったが、今村が選んだのはメイクアップだった。メイクアップアーチストのムッシュ・サムのスクールに入り、プロ育成コースで学び始めた。病気で化粧もできなかった反動もあった。夫から「不細工だ。だまされた」となじられ、傷ついたこともあった。「きれいになりたい」。そんな思いがメイクの道へと進ませたのである。
 今村は乾いた大地が水を吸い込むように美容の知識と技術を学んだ。サムのメイクアップショーのチケット売りやライト持ちなどの裏方も経験し、ショービジネスのノウハウも身につけた。わずか半年後に師匠のサムに独立を相談した。サムの返事は明快だった。「良いだろう。ただし安売りはするな。真美の技術はボクの技術。メイクだけでなくファッションコーディネイトを含めたトータルの仕事で、1回2万円のギャラをいただきなさい」。今村は家族3人での生活を送りながらメイクアップアーチストとして独立。25歳の時だった。
 セレブの住む芦屋を中心にポスティングし、自宅訪問でのビジネスをスタートさせた。マッサージの後はメイク、そしてクローゼットから洋服を選んでコーディネイトし、セレブの奥様たちから可愛がられた。さらにテレビ局の仕事も入って来た。芝居のメイクから特殊メイクまで、守備範囲を広げて行ったのである。

大阪から大連へとビジネスの針路を転換

 転機が訪れたのは30歳代に入ってからだった。師匠のサムから身につけたメイクアップショー。しかし、その運営はサムのショーとは違っていた。「私ならこうしたい」という思いを一気に吐き出した今村流である。それはスタッフを仲間として、みんなで成功への道を駆け上がろうというものだった。タレントやアナウンサー志望、デザイナーやメイクアーチストの卵たちが無給で集まり、みんなでショーをつくり、その思いが観客にも伝わって評判を呼んだ。スタッフの絆はいまも強く結ばれ、大連の美容室を立ち上げた時には安達静香が力となり、いま今村の片腕として働く森木千夏、白木隆道も当時からの仲間である。
 美貌と技術、そしてリーダーとして統率力に優れた今村のもとに投資希望者が相次いだ。1人の財産家はこう言った。「あなたには資質も能力も備わっている。足りないのはお金だけだ」。今村はその財産家に夢を熱っぽく語った。「メイク人材を育ててきたが、働く場所が少ない。そんな若者に希望を与えたい」。今村は「資金はいくら必要か」と聞かれて最少金額を答えた。そこで2人の信頼関係が築かれた。その財産家は、今村が「会長」と呼ぶ、大連のビューティーサロン「BELLE BELLE」の投資者である。
 そんな会長の友人が大連で会社を経営し、「大連の女性はまだ未開発。ビジネスとして成り立つだろう」と勧めて来た。今村はすでに離婚し、子育てからも開放され、大連進出の条件は整っていた。こうして9年前、黄河路に今村美容室をオープンさせたのである。
 メディアの力を知っていた今村は大連テレビ局と提携し、中国人の女性アナウンサーのメイクを担当した。しかし、テレビ用の化粧と言えば濃くて外では歩けないほどケバケバしかった。今村はライトが当たった時に美しさが自然に浮かび上がるメイクを施したが、「あなた、下手ね」と一蹴された。それでも今村流のメイクを続け、やがて視聴者からの反応が届き始めた。「アナウンサーがとてもきれいに見える」。絶大な信頼を受けた今村は、いまも大連テレビ局のメイクを担当する。

理想の空間をつくり上げた「白亜の館」

 黄河路の3年間で手応えを感じた今村。「この中国で腰を据えてチャレンジしようか」と新しくできた万達華府に理想の店を開店させた。店名も「BELLE BELLE」に変え、1階はメイクと美容、2階はエステとスパのトータルビューティーサロン。今村の夢が形になったのである。だが、今村の目指す頂点はもっと高みにあった。高級感と心身ともにくつろげるサロンにできないだろうか。そんな時に友人から偶然、南山の一戸建てへの移転話があった。高級住宅街の立地に、差し込む日差し、吹き抜けるさわやかな風……。今村はここに運気を感じ、今春、「白亜の館」として移転、オープンさせた。
 VIP室も設け、精神的にもゆったりできるスペースにした。9月からはカフェテラスもオープンさせる。本当の美しさを追い求め、それを具現化する今村の理想の館である。大連に店を構えて来年で10周年を迎える今村は、しなやかな事業家として確固たる実績を着実に積み上げている。しかし、そんな今村に知られていない一面がある。篤志家としての今村である。
 この9年間は欠かさず慰問活動を続けている。当初は美容院PRのために裕福な家庭の子どもたちが通う幼稚園を訪れ、子どもたちにプレゼントを贈った。営業的な効果はあったが、やればやるほど虚しさが募り、自己嫌悪に陥る。4年目からは毎年、政府援助もない私立孤児院へ年に2度ほど通っている。邪心はいっさいない。子どもたちの幸せを願う純粋な気持ちで接し、子どもたちも今村が来るのを心待ちにしている。
 奇跡でこの世に生を受け、幼い時から病に立ち向かい、恋愛、結婚、出産、離婚と女性としての喜びも悲しみも味わって来た。そんな今村だからこそ、物事の大切なことが分かるのかも知れない。「素敵な空間を手に入れることができたが、まだまだ完成ではない。会長や飲食店を成功させた先輩が回りにいる。その方を手本にして高みに近づきたい」。今村は決しておごることはない。常に謙虚な姿勢を貫き通す。

この投稿は 2011年9月5日 月曜日 12:04 AM に Whenever誌面コンテンツ, ヒューマンストーリー カテゴリーに公開されました。

コメントをどうぞ

掲載日: 2011-09-05
更新日: 2011-10-10
クチコミ数: 0
カテゴリ
エリア