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中日友好大連人材育成センター常務副主任 趙 克さん

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日本政府の資金援助によって開設された中日友好大連人材育成センターは今年で5周年を迎えた。中日を結ぶ人材育成は軌道に乗り、数多くの中国人を育てて来たほか、新たな分野でも育成機関としての機能を充実させている。実質的なセンターのトップである3代目の常務副主任は趙克さんに、今後の使命についてインタビューした。

充実する人材の育成機能

趙 克さん

趙 克さん

 日本政府の資金援助によって開設された中日友好大連人材育成センターは今年で5周年を迎えた。中日を結ぶ人材育成は軌道に乗り、数多くの中国人を育てて来たほか、新たな分野でも育成機関としての機能を充実させている。実質的なセンターのトップである3代目の常務副主任は趙克さんに、今後の使命についてインタビューした。

 「そうです。東北大学の博士課程で地震と火山を研究しました。卒業後は仙台の土木地質会社に勤務し、地震が起きるたびに被災地に駆けつけ、主に崖崩れや落石現場のメカニズムを調査していました。この調査結果を基に日本政府や宮城県が斜面、のり面の防災対策に役立てていたのです。大連に戻ってからは宮城県大連事務所に3年間勤務するなど、宮城県、仙台市とは切っても切れない縁があります」

――中日友好大連人材育成センターの常務副主任に就任されて8か月が経ちました。この間の手応えはいかがでしょうか。
 「振り返ると順調に来たのではないかと思います。着任早々は内部の組織や状況、さらには過去の業務内容について把握することを心がけました。また、センターの大きな使命である人材育成業務については、社員研修を委託されている日系企業などを訪問して、社員研修についてのアドバイスをいただいたり、企業側がどのようなニーズを持っているのかをお聞きしたりしました。もうひとつの役割である中日友好では、昨年末に日中の関係者をお招きした忘年会も開催するなど、交流の場としての機能も発揮できたと思います」

――その人材育成業務ですが、数多くの日系企業と提携するなどして、人材育成基地としての機能がますます充実して来たようですね。
 「現在、人材育成基地の委託を受けているのはアルパインや日清製油、みずほコーポレート銀行の大手3社で、中国人社員に対する日本式ビジネスマナーや日本語教育などを行っています。このほかにも10社以上の大手日系企業から社員教育の研修を請け負っています。また、中国系企業からも教育基地として委託され、社員に対する技術研修や管理教育も手がけています。文字通り人材育成センターとしての機能を果たしています」

――今年3月にはセンター内に海運人材育成基地が設けられ、業務分野も幅広くなってきました。この人材育成基地についてお聞かせください。
 「国際的な港湾都市である大連の海運関係者に、進んだ日本の海運管理、技術を学んでもらおうというのが目的で、立命館大学や大連交通大学、大連市港湾局、大連市人力資源などがセンターに委託して設立されました。3月16日の設立記念式典には大連市委員会の夏徳仁書記も出席されるなど、大連市側の期待の高さも相当なものです」

――具体的にはどのような研修内容を考えていらっしゃるのでしょうか。
 「立命館大学と連絡を取り合い、大連の海運関係者の派遣準備を進めていますが、東日本大震災によっていまは状況を見守っているところです。できれば年内、遅くても来年には20人ほどの関係者を15日間にわたって日本に送りたいと思っています。日本では、立命館大学で理論的な授業を受けた後、港湾施設を実際に見学し、進んだ日本の海運業の現状を勉強してもらいたいと思っています」

――立命館大学と言えば、早稲田大学との連携も進められていますね。
 「実は今年のアカシア祭りにあわせ、早稲田大学とセンターでシンポジウムを開く計画でした。残念ながら、こちらも東日本大震災の影響で延期になってしまいました。しかし、今年の秋には開催できるよう、早稲田大学側と調整を進めたいと考えています」

――ところで趙さんはこれまで日本とどのような関係をお持ちでしょうか。
 「大学で学生管理畑を一貫して歩いて来たので、日本との密接な関係は特にありませんが、2000年以降に大連交通大学が日本の大学と相次いで提携するなど、大学間の交流は増えてきました。2008年8月に日本で開かれたシンポジウムに参加するため、交通大学の教師陣による訪日団の団長として初めて日本を訪れました。そのときの印象は強烈で、日本人のマナーの良さに感激しました。電車内でも新聞や本を読んで、他人に迷惑をかけることはありません。レストランでも礼儀正しく店内も静かでした。管理部門を長く手がけて来ただけに、どうしても管理面に目が行ってしまいますが、日本人の管理には素晴らしいものがあります」

――最後に中長期的な目標をお聞かせください。
 「このセンターは日本のODA(政府開発援助)によって5年前に完成しました。このプロジェクトが無駄にならないよう、私たちはより良い機能を備え、人材育成と中日友好に向けて発展させていかなければなりません。そのためにも日本の素晴らしい能力を持った専門家を招き、研修能力を高めていきたいと考えています。現在も3人の日本人シニアボランティアがいますので、それぞれの専門知識を生かした講座を開設し、日本と中国の架け橋となるような中国人を育てていただきたいと思っています」

【経歴】
趙 克さん
 1960年3月、庄河市生まれ。1984年に大連鉄道学院(現在の大連交通大学)機車内燃専攻科を卒業。大連鉄道学院事務部門に就職し、1998年まで学生管理を担当。その後、交通運送工程学院党総支書記、管理学院党総支書記、基建処処長などを経て2010年9月、現職に就任した。
【インタビューを終えて】
人柄がにじみ出た丁寧な応対
 大連鉄道学院と後の大連交通大学の学生管理を担当して来た管理部門のエキスパート。それだけにインタビューも管理についての話が中心となった。それも、実直な人柄がにじみ出るように、丁寧な応対で受け答えしてくれた。「日本に初めて行った時、日本人のまじめで勤勉な姿に感動した」「センターに赴任してから感心したのは日本人の計画性。先のこともしっかり予定を立てて、必ず守るのが素晴らしい」。趙さんの口からは、私にはくすぐったい褒め言葉が何度も出て来た。「私は日本人の例外です」と、弁明したくなったほどだ。

この投稿は 2011年6月1日 水曜日 6:31 PM に Whenever誌面コンテンツ, 巻頭インタビュー カテゴリーに公開されました。

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掲載日: 2011-06-01
更新日: 2011-10-10
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