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金州新区大連経済技術開発区 経済貿易局副局長兼招商一局局長 佟 玉林さん

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大連経済技術開発区と金州区が合併した「金州新区」が誕生してから、今年4月で1周年を迎える。その新たな体制の中で対日系企業に関する業務を担当する経済貿易局招商一局を束ねているのが、同一局局長を兼務する佟玉林経済貿易局副局長だ。金州新区や開発区における今後の方針、日系企業に対する業務方針などについてインタビューした。

幅広い産業集積で地域新興を 日系企業の回復傾向に手応え 企業展開を全面的にサポート

佟 玉林さん

佟 玉林さん

 大連経済技術開発区と金州区が合併した「金州新区」が誕生してから、今年4月で1周年を迎える。その新たな体制の中で対日系企業に関する業務を担当する経済貿易局招商一局を束ねているのが、同一局局長を兼務する佟玉林経済貿易局副局長だ。金州新区や開発区における今後の方針、日系企業に対する業務方針などについてインタビューした。

――春節が明け、いよいよ新しい年の始まりですね。今年もよろしくお願い致します。ところで大連経済技術開発区と金州区がひとつになった「金州新区」が誕生して4月で1年を迎えます。まずは金州新区の目指すところをお聞かせください。

 「金州新区は、大連市政府が全地域を都市化させることを目的にした『新市区構造改革』の政策に基づいて、大連経済技術開発区と金州区が合併して新たに設置されました。これによって面積約1040平方キロメートル、人口110万人の新都市に生まれ変わり、新しい都市である開発区と歴史のある街の金州が一体となったのです。具体的には、文化の融合と土地資源の確保、製造業だけでなく幅広い産業を集積し、地域全体が豊かになることを目指しています」

――開発区は製造業が主体の一大産業区ですが、この開発区の産業構造も変えて行こうということでしょうか。

 「大連経済技術開発区は1984年に国務院によって批准された沿岸都市14か所のうちの1か所で、中国初の開発区です。その後、開発区は各地に建設され、現在では90か所と言われています。その中でも大連は、最も都市化が進み、最も日系企業の比率の高い開発区です。この26年間で著しい発展を遂げてきましたが、さらに地域を活性化させるためには産業構造を合理化しなければなりませんし、製造業は労働集約といわれますが、そこに働く人たちのレベルアップも実現させなければなりません。このため、国が奨励する産業を新たに加え、多面的な産業構造に移行する必要があるのです」

――国の奨励産業とは具体的にどのような産業なのでしょうか。

 「国の優遇政策は地域や外資企業から、その対象は産業別に変わり、現在では外資、内資企業の公平な企業間競争が促進されています。奨励産業は新興戦略産業として位置づけられ、ITやエコロジー、ハイテクなどの産業が該当します。こうした幅広い産業を集積することによって、開発区の経済力、都市力を底上げして行かなければなりません」

――企業に対する優遇政策は横一線になりましたが、大連経済技術開発区は日系企業が多数進出しています。こうした日系企業に対するサービスはいかがお考えでしょうか。

 「私たち日本担当の招商一局が中心となって、インフラ整備や法律面の問題などの環境を整えて、企業展開を全面的にサポートします。特に体力に乏しい中小企業に対しては、融資からレンタル工場探し、中国市場への展開、市場調査なども協力するなど、ソフト面のサービスを強化して行きたいと考えています」

――その日系企業ですが、金融危機以降は元気がなくなっているようです。日系企業と日々かかわっている佟さんは、どう感じられているのでしょうか 。

 「私は昨年8月から招商一局局長を兼務していますが、日系企業は世界金融危機での落ち込みから回復してきたとの実感を強くしています。中国への進出案件が増え、私どもに問い合せや調査の依頼が数多く来るようになりました。また、ここで操業中の日系企業も増資をするなど、間違いなく回復基調にあるようです」

――ところで佟さんは日本駐在歴もあり、日本の各界との太いパイプもお持ちです。日系企業誘致などにその人脈が生かされているようですね。

「私は大連経済技術開発区管理委員会の日本駐在総代表として1996年5月から2年間、大阪で勤務していました。ですから当時の大阪府会議員の方々をはじめ、多くの方のお世話になり、誘致活動をスムーズに行うことができたのです。また、国会議員や経済界にも友人がたくさんいますので、いまも大きな財産となっています。人との出会いは大切だとつくづく思います」

――最後に今年の目標をお聞かせください。

 「先ほお話ししましたように、幅広い業種の日系企業を誘致したいと考えています。大連経済技術開発区はインフラ整備が進んでいますし、日系企業が操業する上での環境、雰囲気にも優れています。各地に日系企業の誘致を目指す競争相手がたくさんありますが、環境と私たちのサービスによって、いい結果が得られるものと確信しています」

【経歴】
佟 玉林さん
 鞍山出身。1982年に大連外国語学院日本語学科を卒業後、鞍山製鉄公司に入社し、社員への日本語指導や日本の製鉄5社との取引も担当した。1994年に「もっと日本語を生かせる仕事を」と大連経済技術開発区管理委員会に入り、対外連絡処、日本駐在総代表、外資管理処副処長、香港マカオ台湾外資促進処処長、招商センター日本部部長を歴任、2005年に経済貿易局副局長に就任。2010年8月には副局長と招商一局局長を兼務している。
【取材を終えて】
変わらぬ姿勢と笑顔
 大連経済技術開発区管理委員会の中でも随一の〝日本通〟であり、日本の理解者でもある佟玉林さん。その佟さんと私が初めて会ったのは8年前の日本部部長の時だった。取材に対して丁寧に対応していただいたのを、いまでも鮮明に覚えている。その後、久しく会っていなかったが、昨秋、ある会合で同席し、「猪瀬さんでしょ?」と声をかけていただいた。幹部となったいまも当時とその柔らかな姿勢、笑顔は変わることがない。時として難しい問題が生じる日中関係だが、大連に佟さんのような人材がいることに感謝したい。

この投稿は 2011年3月1日 火曜日 10:39 AM に Whenever誌面コンテンツ, 巻頭インタビュー カテゴリーに公開されました。

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掲載日: 2011-03-01
更新日: 2011-10-10
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