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大連華美青少年囲碁培訓学校校長 張 成さん zhang cheng

「伝統的な碁盤の材料に使う榧の木は、絶滅状態にあり貴重な材料。これはもう美術品です」

 日本と中国、韓国に共通する囲碁。卓球とともに日中国交正常化のシンボルとして、幅広い層の愛好家による交流大会が開かれてきた。大連華美青少年囲碁培訓学校も囲碁を通した日中友好活動にも取り組んでいる。張成校長に囲碁教育とともに日中の囲碁交流、そして日本の伝統的な碁盤に対する熱い思いを聞いた。(関連記事は9ページ)

――中国は子どもに対する囲碁教育が盛んです。張校長の学校にも生徒さんがたくさんいらっしゃいますね。

 「16年前に学校を開設したときは20数人でスタートしましたが、現在では4歳半から15歳まで1200人の生徒が当校で囲碁を学んでいます。生徒たちは学校の放課後や週末に当校へ来て、囲碁の技術だけでなく精神面の鍛錬にも取り組んでいます」

――いま、中国は囲碁ブームなのでしょうか。生徒たちはプロの棋士を目指しているのですか。

 「中にはプロの棋士を目指す生徒もいますが、大半の目的は子どもに対する英才教育です。囲碁を通して物事の見方、考え方を養う人格教育ですね。 囲碁は学力向上にも大きな力となります。これまでに当校から北京大学や清華大学など一流大学に大勢の合格者を送り込んでいます。ですから親御さんが熱心です」

――張校長も幼いころから囲碁を学んできたのでしょうか。

 「私の父は日本に留学し、囲碁の魅力に深くふれてきました。その父に強く影響され、幼いときから日本文化に親しみ、囲碁もそのひとつでした。10歳の時からはじめ、12歳で本格的に取り組みました。その後も一貫して囲碁の道を歩み、21歳で大連に戻ってからもアマチュアとして様々な大会に出場しました。それからは囲碁教育に取り組みたいと思い続け、現在の学校を開校させたのです」

――囲碁は日中韓3か国共通のゲームです。そう言った面からも日本との交流も盛んですね。

 「囲碁は中国で生まれ、その後、日本や韓国に広まりました。ですから基本的なルールは共通していますので、言葉は通じなくても同じ碁盤の上で交流ができます。1980年代には北九州市の囲碁グループと交流大会を開き、2002年から3年間は当校から交流訪日団を派遣して日本棋院のみなさんと対局しました。また、日本の囲碁サークルとの交流は現在も続けています」

――ところで張校長は碁盤の収集家でもありますね。

 「優れた碁盤は碁石を打ったときの音が良いですし、手触り、質感も素晴らしいものがあります。囲碁の道具でありながら、芸術品でもあります。いま、収蔵しているのは脚付きが約80面、基盤のみが約200面です。特に日本の伝統的な碁盤の魅力に取り付かれています」

――日本の碁盤のどんなところに魅力を感じているのでしょうか。

 「伝統的な碁盤の材料は榧(かや)の木を使います。榧は成長が遅いだけキメが細かく木目が美しいのです。日本では絶滅状態にあり、中国にも原木はありません。それだけ貴重な材料です。これに太刀目盛りといって、日本刀の刃を丸め、黒漆を付けて盤面に刃先を押し付けて線を引いて行く伝統技法です。これはもう美術品です」

――日本へ碁盤の視察に行かれたと聞きましたが。

 「ええ、今年4月に碁盤の生産地として知られる宮崎県を訪問してきました。有名な店は5店ありますが、そのうちの山川碁盤店は経営者の小村典生さんが病気でお会いすることができませんでした。私が大連に戻って間もなく、小村さんは亡くなられてしまいました。優秀な職人さんだっただけに残念です。この小村さんのぜひとも作品を買い取って保存し、その歴史を文章や写真などの資料として残したいと考えています」

――なぜそこまで惚れ込んだのでしょうか。

 「先ほど話しましたように、父の影響で日本の雑誌や本にふれて育ちました。その中で碁盤も紹介され、いつかは素晴らしい日本の碁盤を、との夢を持ち続けていました。今回出会った小村さんの碁盤は最高水準の作品です。夢の実現とともに、残されたご家族のお役に立つためにも、近いうちに再び訪問したいと考えています」

【中文】
  围棋在日本、中国和韩国是共通的。和桌球一起作为日中国交正常化的象征,各个层面的爱好者们举办了围棋交流大会。大连华美青少年围棋培训学校通过围棋促进日中友好的活动正在展开。张成校长就围棋教育和日中围棋交流以及对日本传统棋盘等方面接受了本次采访。
  「父亲的严格教育对我的成长影响很大,其中一个就是围棋。10岁开始学围棋,一路走来、从想要做围棋教育事业到现在学校的成立。学校的教育不光只是针对中国学生,同时还有开展和北九州市围棋小组的交流大会等,2002年起3年间本校派遣的交流访日团与日本棋院的朋友们进行了数次对局。和日本的围棋同好会朋友们的交流如今仍在继续。还有我对日本的传统棋盘很着迷。很想购买已故棋盘匠人宫崎先生的作品,也算是为了其剩下的家人吧。」

【経歴】
張 成さん

 1964年9月、大連市西崗区生まれ。文化大革命で教師だった父親が黒竜江省チチハルに下放され、6歳から師範専門学校を卒業する21歳までチチハルで過ごす。その後、大連に戻ってアマチュア棋士として活動し、国営企業の業務経理を経て1996年に囲碁学校を大連市図書館内に開設。2004年に現在の西崗区民運街に移転し、青少年の囲碁教育に尽力する

【取材を終えて】
碁盤に込めた特別な思い

 「日本の伝統的な碁盤を後世に伝え残したい」。インタビューの中で張成校長から何度もこの言葉が出てきた。材料の榧はほとんどなく、職人も少なくなっているという。中でも宮崎県伝統工芸士に認定されている小村典生さんの死は「大きな損失」と表情を曇らせた。
 小村さんの遺作を保存し、素晴らしい技術を記録として残すため、張校長は間もなく宮崎県を訪れる。すでに今年3回目の訪問となり、碁盤に対する思いは国境を超えて熱く燃え続ける。
猪瀬 和道

この投稿は 2012年7月6日 金曜日 3:19 PM に Whenever誌面コンテンツ, 巻頭インタビュー カテゴリーに公開されました。

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掲載日: 2012-07-06
更新日: 2012-07-11
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