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大連市中心病院院長 心血管内科博士 孫 喜琢さん

日本を参考に成人病の予防を

――大連市中心病院と言えばたくさんの日本人もお世話になってきました。大連市の中核病院であるとともに、日本との関係も浅からぬようですね。

 「中心病院には大連日本商工会の日本人医療相談室が開設され、多くの日本人の皆さんが相談に来られ、健康管理に大きく貢献してきました。現在は大連日本商工会としての相談室はなくなりましたが、日本語のできる中国人ドクターが日本人の皆さんの相談に応じ、適切な治療をアドバイスしています」

――総合病院としての中心病院をご紹介してください。

 「内科や外科などすべて合わせて51の診療科目があり、1日3000人もの市民が外来を訪れ、治療を受けています。ベッド数は1600床ですが、間もなく2054床に増床する予定です。将来は大連市政府の支援を受けて4000床まで拡張したいと思っています」

――医療はどの分野も重要ですが、孫院長が特に力を入れていらっしゃるのはどの分野でしょうか。

 「中国で深刻なのが成人病の増加です。社会、経済の発展に伴って脳卒中や心臓病などの患者さんが増えています。脳卒中で見ると、日本は1985年以降から減少していますが、中国は1970年を境に増加傾向をたどっています。このままでは将来、大変なことになると心配しています」

――成人病対策は行政とともに医療機関の使命だと思います。どのような対策をお考えでしょうか。

 「やはり日々の運動とたばこを控え、コレステロールをコントロールすることが大切です。大連では地域ネットワークを構築し、日常習慣の改善を呼びかけ始めました。現在、成人病の発症率は10万人中1000人ですが、15年後には35%減を目標としています。ちなみに日本人の発症率は半分の500人です。私は成人病予防の先進地である日本へ1年に1、2回訪れ、予防医学など最新医療情報を入手して大連での医療活動に生かしています」

――孫院長は日本の病院で研修された経験がおありでしたね。

 「1994年4月から1年間、札幌の北光循環器病院で副院長の阿部秀樹先生の指導を受け、主に冠動脈造影とバルーン(風船)治療と言われるPTCAを学びました。1年間で冠動脈造影は750例、PTCAは100例の施術を行い、日本循環器学会専門医でもある阿部先生から心臓内科専門医としての認定証を交付していただきました。阿部先生は私の生涯の師であり、認定証は何よりも大切な私の宝物です」

――阿部先生とはいまも親交があるのでしょうか。

 「もちろんです。先生は青森県米沢市の三友堂病院に勤務されていますが、いまでも毎年1回は阿部先生のところへうかがい、交流を深めています。研修の1年間は研修日報を毎日書いて阿部先生に提出していましたが、最後の日のページに『初心忘れるべからず! 高い志を貫き、中国の人民に夢と希望と生命を与えることができるのは、孫喜琢先生しか居りません』というコメントをいただき、この言葉をいまも胸に医療にあたっています」

――孫院長と阿部先生の関係をきっかけに、中日の医療交流の輪は広がっているようですね。

 「ええ、昨年末には中心病院の管理職57人が日本の医療福祉施設で2週間の研修を行い、今年も間もなく中心病院各科の婦長20人が仙台の医療福祉施設で1か月の研修を受けることになっています。今後もこうした交流を大切にしたいと思っています」

――最後に孫院長の医師としての目標をお聞かせください。

 「循環器医師として多く手術、治療を手がけ、この中には大連で急性心筋梗塞を発症して救命した日本人も3人います。しかし、最も大切なのは、先ほども言いましたように予防医療です。そのためにも成人病予防医療の先進地である日本に学ぶことはたくさんあります。また、介護も大きな課題となりますので、将来は日本の社会福祉法人と連携して大連に高齢者施設を開設させたいと考えています」

メモ
PTCA 狭心症や心筋梗塞などに施すバルーン(風船)治療。先端に小さなバルーンがついたカテーテルを冠動脈に通し、動脈硬化や血栓によって狭くなっている部分にバルーンで膨らませ、内側から広げる治療法。

【Profile】
孫 喜琢さん

 1963年、黒竜江省生まれ。牡丹江医学専科学校、ハルピン医科大学大学院を修了。大連市中心病院医師時代の1994年から1年間、札幌の北光循環器病院で研修し、その後、大連市第二人民医院副院長、大連市中心病院副院長などを経て、2006年からは現職。2008年には東北財経大学で応用経済学の博士号も取得した。

【取材を終えて】
通訳いらずのインタビュー

 インタビューには通訳を連れて行ったが、孫院長の日本語は通訳の出番がないほど流暢なものだった。難しい専門用語も外来語も、完璧な日本語で返ってくる。緊張気味だった通訳はほっとした表情を浮かべた。
 孫院長は高校時代に日本語を勉強したが、その後は1年間の研修時代に学んだだけだと言う。しかし、その1年間は孫院長にとって人生の中でも大きく飛躍する時間でもあった。「いまの原点は研修時代にある」「阿部先生は生涯の恩師」。医療分野でも日中の結びつきの深さを実感した取材だった。

この投稿は 2011年10月11日 火曜日 12:25 PM に Whenever誌面コンテンツ, 巻頭インタビュー カテゴリーに公開されました。

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掲載日: 2011-10-11
更新日: 2012-02-24
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