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大連阿尓濱足球倶楽部(大連アルビン) 総経理 遅 尚斌さん

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「釜本サッカースクールは、両国の子どもたちがサッカーを通して交流でき、素晴らしい一日でした」

 遅尚斌さんは、サッカー中国代表チームのキャプテンとして、数々の国際大会で活躍し、指導者に転身してからも、大連万達時代には、55戦無敗の記録を残すなど、中国のサッカーに大きく貢献してきた。7月6日には、釜本邦茂さんのサッカースクールにも参加した。現在は大連阿尓濱足球倶楽部の総経理として活動する遅さんに、サッカーや日本とのかかわりを聞いた。
 釜本サッカースクールは、たくさんの子どもたちが参加し、大成功だったと思います。参加されて、いかがでしたか。

 ありがとうございます。釜本サッカースクールは、素晴らしい一日でした。主催の株式会社スリーボンドに、感謝しています。中国と日本の子どもたちがサッカーを通して交流でき、今後もこのような交流の機会が増えることを希望します。この一日だけではなく、これを始まりとして、もっとたくさんの子どもたちに、サッカー交流に参加してほしいと思います。

 大連で釜本サッカースクールが開かれたのは、遅さんと釜本邦茂さんの友情があったからでもあると思います。釜本さんとは、いつごろ知り合ったのでしょうか。

 私は、1987年に大阪体育大学へ留学しましたが、大学の先生から紹介され、釜本さんと知り合いました。確か、1989年のことです。年齢も近く、同じサッカー選手ですので、すぐに意気投合しました。その後は、今回のようなサッカースクールで、釜本さんと日本全国を回りました。

 日本へ行ったきっかけや、日本での活動を聞かせてください。

 1982年に引退後、北京体育学院でスポーツ心理学を学びましたが、より深く学びたいと思い、留学を選びました。大阪体育大学での専攻も、スポーツ心理学です。学業と並行し、松下電器産業サッカー部(1993年のJリーグ開幕からガンバ大阪)で、ジュニアユースやユースのヘッドコーチも務めました。当時、トップチームの監督は、釜本さんでした。

 日本での思い出はありますか。

 ユースチームには、日本代表としても活躍した宮本恒靖選手や大黒将志選手、稲本潤一選手も所属していました。また、プロサッカー選手になれた選手もたくさんいます。彼らの活躍と成長は、自分のことのように嬉しかった。日本では、いろいろと学ばせていただき、私の人生でも大切な一時期です。

 また、倉田安治さんが大連アルビンの監督に就任しましたが、クラブ総経理として、倉田さんにはどの様な期待を寄せていますか。

 倉田さんは指導者としての責任感もあり、真摯な態度を持っています。私も感服しています。倉田さんが広東省東莞でコーチをしていたころ、知人から倉田さんの話を聞き、私から会いに行きました。大連アルビンでも、必ず良い成績を残すと信じています。倉田さんには、昨年の中国全国運動大会で、U18の遼寧省代表チームの監督として、優勝した実績もありますからね。

 遅さんがサッカーを始めたきっかけ、選手や指導者としての思い出を聞かせてください。

 サッカーを始めたのに、特別な理由はありません。大連には、サッカー文化が根付いていますので、他の子どもたちと同じように、サッカーが好きで始めました。サッカー選手になりたいと思ったのは、中学一年のころです。選手としては、ワールドカップに出られなかったのが、心残りです。指導者を目指したのは、大連や中国のサッカーに貢献したいと思ったからです。

 今回のワールドカップでは、アジアのチームが一勝もできませんでしたが、アジアのサッカーをどう見ていらっしゃいますか。

 世界と比べると、アジアのチームは身体能力などの面で、やや劣ってしまうかもしれませんが、韓国には体格に恵まれた選手が多く、日本は組織力に優れているといった印象です。アジアのサッカーは、やはり日本と韓国が中心ですので、中国も多くを学ばなければいけません。アジアの各チームが共に学びあい、共に進歩していけたら良いと思います。

 座右の銘はありますか。

 屈原の「路漫漫其修遠兮、吾将上下爾求索(路は漫々としてそれ修遠なり、われ将に上下して求め索ねんとす)」が好きな言葉です。「道は長くて遠くても、それを模索し続ける」といった意味です。

【中文】
  七月六日,原日本国家足球队队员釜本邦茂在大连举办了足球教室,吸引了中日很多儿童参加。原中国国家足球代表队迟尚斌先生参加了足球教室。迟尚斌先生曾作为中国国家足球队队长,一度活跃在世界足坛的各大赛事,退役后作为足球教练也取得了骄人的战绩,现任大连阿尔滨足球俱乐部总经理。我们对迟尚斌先生进行了采访。
  “在釜本先生的足球教室,中日两国的小朋友通过足球进行了沟通和交流,度过了非常美好的一天。我衷心希望像这样的交流,今后也会继续下去。我曾经在日本留学期间也担任过职业足球队的教练,跟釜本先生也是在日本认识的,今后我们也将会继续交流下去。我对现任的阿尔滨足球俱乐部教练仓田安治先生非常期待,相信一定会取得好成绩。今后,希望亚洲足球能够互相学习,共同进步。”

【経歴】
  1949年、大連市に生まれる。幼少からサッカーを始め、1970年に中国代表に選ばれる。アジアカップ、アジア競技大会、ワールドカップ予選、オリンピックなど、国際大会で活躍。1987年に大阪体育大学へ留学、ガンバ大阪で指導者としても活動。1995年に大連へ戻り、中国代表チームなどで指導者を務める。2009年に大連アルビン顧問、2013年から現職。

【取材を終えて】
謙虚に歩み続けるサッカー人生
 釜本サッカースクールでの遅尚斌さんは、笑顔で子どもたちと触れ合い、子どもたちの交流を、楽しそうに見つめていた。インタビューの取材にも、丁寧に応じてくれた。経歴を伺っても「ただのサッカー選手ですよ」と謙遜した答え。謙虚で優しい人柄を感じた。好きな言葉は「路漫漫其修遠兮、吾将上下爾求索」。遅さんが歩むサッカーの道は、これからもずっと続いていくのだろう。そして、中国スーパーリーグでは下位に甘んじている大連アルビンだが、今後の巻き返しにも期待したい。

武井 克真

この投稿は 2014年8月19日 火曜日 11:56 AM に Whenever誌面コンテンツ, 巻頭インタビュー カテゴリーに公開されました。

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掲載日: 2014-08-19
更新日: 2014-09-19
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