希望広場
希望広場(旧松山町)
大連市西崗区中山路
大連で広場と呼ばれる場所は、円形でロータリーや道路が交差するような場所を指すことが多いのですが、希望広場は中山路と互恵路がほんの少しだけ接するだけの場所です。公園のような設備もなく、文字通り広い土地がある広場という感じです。希望広場が中山区と西崗区の境界線となっています。目印は長期間の工事中断を経て、完成した希望ビルです。大連一の繁華街である青泥窪橋や大連一の広さを誇る労働公園へも隣接しており徒歩3分ほどで行ける場所です。
周辺には、大連ロイヤルホテル(民航大厦)、川王府陽光(ホテル)、香洲ホテルなどがあります。また、全日空、JAL、日系銀行、大連日本商工会、在瀋陽日本国総領事館大連出張駐在官事務所など大連の日本企業、機関の中心地といえる森茂大厦(森ビル)があります。
かつてと区画が大きく異なる!?
大連の中心部は近代大連設計、誕生からから幹線道路の道幅や町割りなどはほぼそのままで使われていることが多いのですが、希望広場は大連でも珍しく大幅に変更された場所のひとつです。
出典サイト 霞会掲示板
戦前松山町と呼ばれていたころの古地図です。現在の中山路香洲ホテルの前に路面電車の紅葉駅(古地図上の松山の松の上の黒い点)があったことが分かります。現在と比べると、面積は半分以下ほどと小さく、現在の労働公園へつながる互恵路は後から増設されたものだと推測されます。
旧松山町の周辺には現在も建物が残る南満洲工業専門学校、羽衣高等女学校、伏見台小学校、第一中学など大連を代表する教育機関がありました。そのため、もしかすると松山町の当時は学生街だったのかもしれませんね。
松山の地名は唐山街側にある松山寺の名前で残っています。希望広場から南側は現在再開発が進められる傾斜地(旧松山台)になっています。このどこかに1909(明治42)年旅順へ移動する前の伊藤博文の歓迎会が開かれた豪商紀鳳台の邸宅であった紀鳳台劇場という建物があったようです。しかし、現在は場所すらも特定できません。昭和13~15年代の大連を再現した『たうんまっぷ』には記載がないがないことから、昭和に入ったころにはなくなっていたのだと思われます。
参考文献
『幻の大連』 松原 一枝・新潮社
『たうんまっぷ大連』 たうんまっぷ大連頒布会
アクセス / 地図
<バス>各希望広場、労働公園などから徒歩約30秒~1分。
タグ: 森ビル周辺
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更新日: 2013-02-08
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