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旧旅順工科大学(旧旅順工科学堂)

旧旅順工科大学(旧旅順工科学堂)

ロシア海兵団施設→旧旅順工科学堂→旧旅順工科大学→海軍四〇六病院

大連市旅順口区茂林街89号
竣工 不詳(1900年以降)
設計 不詳 施工 不詳
現在は海軍406病院のため、見学できます。

旅順工科大学

出典サイト 看中国-葫芦岛百万侨民大遣返-早期移民Show China
1900年にロシア海兵団の施設として建てられたと伝えられる建物です。改修して1910(明治43)年に旅順工科学堂、1923(大正12)年に旅順工科大学となり関東州唯一の官立大学となります。
旅順工科大学、東京工業大学、大阪工業大学(現大阪大学)ともに三工大と呼ばれその最初の官立大学でした。旅順工科大学は1945(昭和20)年9月にソ連軍に接収されて廃校、その歴史に幕を下ろします。戦後はソ連が施設として使用し、中国返還後は海軍406病院として現役で使われています。
※施工年度に関する資料が乏しいため推測です。

旅順工科大学別棟

奥にある別棟です。戦前の古写真と比べるとこの建物もあったようです。ですが、右側が増築されていることが分かります。初期の古写真を調べるとこの建物は写っていません。そのため、この建物自体も旅順工科学堂か旅順工科大学の時代に後から新たに建てられたと推測されます。

旅順工科大学建物入り口と別館

出典サイト 王雨霖:吴宓在大连民间历史)(中国語)
旧旅順工科大学は関東州という外地にあったため大学予科(教養課程に近い基礎学習授業)が設けられていました。1946(昭和21)年には帝国大学へ昇格することも決定していたそうです。実現していれば、漢城帝国大学、台北帝国大学に続き、外地では3校目、関東州では唯一の帝国大学でした。

海軍四〇六病院入り口

現在の入り口の様子です。正面のキャノピー(雨よけ)部分は増築されていることが分かります。

内部の様子

1階。3階まで続く階段

入り口のすぐ目の前には3階まで直線に続く緩やかな階段があります。一番奥の茶色の扉には、食堂(集会所?)のような説明があります。3階奥には広い部屋があるのでしょうか。非常に特徴ある構造なので、おそらく、元学生の方々は、鮮明に思い出すのではないでしょうか。

2階から3階への階段

2階から3階への階段です。中は内科、外科、婦人科、小児科、神経科など普通の病院です。

戦前の絵葉書でみる旅順工科大学

旅順工科大学(絵葉書)

出典サイト 大連の街から~Ⅱ
いつごろ制作されたものかは特定できませんが、校舎の色が現在とは異なることが分かります。
卒業生では、歌手のデーモン小暮さんの祖父がいます。相撲部に所属していたそうです。
参考サイト
旅順工科大学 (旧制)(Wikipedia)
旧官立大学(Wikipedia)
疾風怒涛の館
旅顺工科大学旧址大连新闻网-滨城大连
参考文献
『大連市政府指定 歴史的文化財50選-建築物-』 20世紀大連会議

アクセス / 地図

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この投稿は 2011年4月13日 水曜日 4:30 PM に 観光・遊び・買い物, 観光 カテゴリーに公開されました。

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掲載日: 2011-04-13
更新日: 2013-02-08
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