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旧大阪毎日新聞 大連支局

旧大阪毎日新聞 大連支局

旧大阪毎日新聞 大連支局

大連市西崗区上海路76号
竣工 1925年5月10日 起工1924年春
設計 横井謙介
施工 福昌公司
後に首相となる原敬が社長を務めたことでも有名な現在の毎日新聞の前進である大阪毎日新聞の大連支局です。1880(明治13)年創業の大阪毎日新聞は、東京日日新聞等との合併を経て、1942(昭和17)年に全国紙毎日新聞と改題し現在に至ります。

大連ヤマトホテルや遼東ホテルと同じ横井謙介設計

この建物が価値があるのは、設計者が横井謙介だからといえます。横井は、大連ヤマトホテル遼東ホテル、安東(現丹東)日本領事館の設計などで知られる建築家です。南山の一角に横井謙介の旧宅が保存されています。
また、施工した福昌公司は満鉄総裁を勤め、独立した相生由太郎が社長を務める会社です。相生由太郎の旧宅は延安路に残っています。まさに当時の民間最強タッグといえるコンビで建てられた建物です。
※大連ヤマトホテルの設計者については諸説ありまだ確定しておりません。
横井謙介 1880-1942
南満州鉄道株式会社(満鉄)を経て、1920(大正9)年に独立し横井建築事務所を開設、24年共同建築事務所開設。
相生由太郎 1867-1930
南満州鉄道株式会社(満鉄)理事、埠頭事務所長を経て、福昌公司を創業。埠頭荷役業務を引き受け、苦力(中国人労働者)の管理、施設整備などで力を発揮したとされる。その後、大連商業会議所会頭、大連市会議員なども歴任。

大阪毎日新聞の社章は星印

大阪毎日新聞旧京都支局

大阪毎日新聞旧京都支局の建物 1928(昭和3)年建築

出典サイト アートコンプレックス1928
社章である星をモチーフにしたデザインで、歴史的価値とともにデザイン性も評価されているそうです。バルコニーも星が飛び出したようになっています。

日本橋から大阪毎日新聞

出典サイト 植鉄の旅 「満洲写真帖 昭和四年版」(1929年3月20日 南満洲鉄道株式会社)より『日本橋』
旧日本橋(勝利橋)からロシア街側を撮影した古写真です。を少々見づらいと思いますが、右上の赤丸をご覧ください。大阪毎日新聞社の社章である星印が確認できます。

勝利橋から旧大阪毎日新聞

同じようなアングルです。建物や屋根の鉄骨部分は同じようですが、星マークが撤去されているのが分かります。

「美麗なる大連日本橋」絵葉書

出典サイト jpware–日本貨棧(中国語と日本語) 「美麗なる大連日本橋」
絵葉書です。カラーなので星のマークが鮮明に確認することができます。大阪毎日新聞 大連支局があるので、描かれたのは1924年冬以降の草木の様子から春から初秋あたりの様子だと推測されます。

旧大阪毎日新聞大連支社

参考サイト
中村與資平記念館別館
大阪毎日新聞(Wikipedia)
相生由太郎(Wikipedia)
胜利桥北·二○○七年九月(续)宁然_百度空间)(中国語)

アクセス / 地図

<バス>403 勝利橋。<電車>201 勝利橋。
勝利橋を渡り右手へ1分ほど歩くと左側にあります。ロシア風情街(ロシア街)の一角にあります。

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この投稿は 2011年4月3日 日曜日 8:22 PM に 観光・遊び・買い物, 観光 カテゴリーに公開されました。

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掲載日: 2011-04-03
更新日: 2013-02-08
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