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旧大連神社

旧大連神社

旧大連神社(解放小学校)

大連市中山区解放街30号
創建 1907年

参拝客で賑わう大連神社

出典サイト 大连神社北方蓝天论坛)(中国語)
大連神社は1907(明治40)年創建されました。1944(昭和19)年に旅順に関東神宮が鎮座するまでは関東州の中心的な神社として信仰を集めていました。現在の大連外国語学院の隣にあります。

大連神社本殿・幣殿・拝殿の絵葉書

大連神社の拝殿・幣殿・本殿の絵葉書です。おそらく描いたものではなく、戦前に流行した写真に色を加えて絵葉書にしたものだと推定されます。

大連神社の鳥居と本殿

出典サイト 大連の街から~Ⅱ
中国の小学校は中へ入れないため確認が難しいのですが、階段の形状が似ているように感じられます。
大連神社は1947(昭和22)年3月14日、元大連神社宮司水野久直さんにより御神体とご御神宝を日本へ持ち帰り、福岡市東区の箱崎宮へ仮安置されます。水野さんが下関市の赤間神宮宮司へ赴任した際に、大連神社の御神体を遷し、1980(昭和50)年に赤間神宮本殿の北東に正式に遷し奉り、仮殿から本殿へ遷し奉る祭儀である正遷座祭を行い現在に至ります。
参考サイトによると下関の大連神社を守る狛犬は、大連から贈られたものなんだそうです。確かに犬ではなく獅子の様相のように思えます。しかし、戦前の大連神社の狛犬ではなく、復元されたものようです。後頭部デコボコは似ていますが、水平に向いている現在の狛犬と目線の角度が違うようです。古写真を見ると旧大連神社の狛犬は下を見下ろすような角度でした。

旧大連神社の境内

旧大連神社への道

現在の大連外国語学院の23番バス停を降りた目の前です。23番のバス停がある公園は下記の地図を見ると外苑の東半分だったことが分かります。緩やかな坂道に民家と商店が軒を連ねています。往時は出店なども並んでいたでしょうか。現在の南山路に路面電車 大連神社駅があったようなので、そこから徒歩で外苑を通って、参拝しに向かっていた思われます。道幅などは変わっていないと思われますので、大連神社へ参拝されたことがある方は今訪れても当時の風景を鮮明に思い出されるのではないでしょうか。

大連神社周辺古地図

出典サイト 大連神社及関東神宮yanagi的POCO空间)(中国語と日本語) ※掲載地図を編集加工しました。
大連神社の全体の様子がよく分かる素晴らしい古地図です。長方形だったようです。古写真どおりお参りするために直進した正面に本殿・幣殿・拝殿があったようです。右手に奥へ抜けられる道が確認できます。古地図の大連神社の連の字あたり、旧西本願寺へつながる道が交差するあたりがトップページの解放小学校の正門付近だと推察しています。
現在も大連外国語学院の留学寮がある坂の上とつながっているようです。今度は上から調査してきます。
興味深いのは、旧大連神社の隣には現在の大連外国語学院である旧西本願寺があり、さらにその隣には現在の大連京劇院である旧東本願寺がありました。結果として旧東本願寺のみが残されました。なぜなのでしょうか。そもそも浄土真宗である東西本願寺と神社が横に並んでいたこと自体が実に不思議な光景のように感じられます。しかも、なぜ大連の南側へ集結させたのかなど謎も多いように思われます。
さらに興味深いのは旧大連神社を右手へ抜けて坂を下るとすぐに大連一の遊郭であった逢坂町です。遊郭街を約10分ほど歩いて抜けるとそのまま春日町(解放路)へつながっています。つまり大連を代表する神社仏閣のすぐ裏手が大連一遊郭逢坂町と、隣りあわせだったことになります。

参考サイト
大連神社(Wikipedia)
ぶちしものせき 下関の狛犬 ぶちこま
ICCS国際中国学研究センター
夕映え
狛犬について私が知っている2、3の事柄

アクセス / 地図

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この投稿は 2011年3月26日 土曜日 5:02 PM に 観光・遊び・買い物, 観光 カテゴリーに公開されました。

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掲載日: 2011-03-26
更新日: 2013-02-08
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