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旧関東法院(関東高等法院)

旧関東法院(関東高等法院)

旧関東法院(关东法院旧址)

大連市旅順口区黄河路北一巷33号
竣工 1907年9月
設計 前田松韻(関東都督府民生部土木課)
入場料15元 開館時間 9:00~17:00

関東州高等法院 古写真

出典サイト 旅顺市街图中建物汇集中国记忆论坛
1907(明治40)年に建てられた裁判所です。旧高等法院が歴史の表舞台へ登場するのは、ここで元老 伊藤博文を殺害したとして1910年2月14日に死刑判決を受けた朝鮮独立運動家 安重根の件です。安重根が収監され、同年3月26日死刑が執行された場所が、旧高等法院から北へ徒歩15分ほどで到着する旅順監獄です。安重根については、旅順監獄の記事で詳しく紹介します。
一般的には関東法院と呼ばれています。旅順は行政単位が頻繁に変更されているため、それにあわせて名称も変更していきます。しかし、一貫して裁判所としての役割を担ってきました。安重根が裁かれたころは、関東都督府地方法院と呼ばれていました。当時大連、旅順は地方と高等の二審制の司法制度でした。同じ建物で地方と高等法院を兼務していたようです。
昭和に入り、関東庁となった旅順の関東法院は、大連の規模が大きくなり、多くの主要な行政機関が大連へ移転するのにあわせて、関東庁地方法院として1933(昭和8)年に長者町(現人民広場)へ移動しています。移動後も旅順の司法機関として1945(昭和20)年まで機能しています。
建物正面向かって右側は旧旅順赤十字病院が隣接しています。現在も周辺施設は病院として使われています。

館内の様子

入り口近くの陳列館

入り口は、建物正面左側にあります。入場券を購入し、入館すると陳列館として関東法院についての資料が展示されています。この陳列館ですが、古写真をみると建物があるように見えるので、当時のものかもしれません。横から見るとそれ相応の年代を感じます。

入り口からの法廷

現在でいうところの大法廷でしょうか。2階にある安重根が判決を受けた法廷です。1階から2階へ上がる階段は左が被告人用、右が傍聴者用で分けられています。

裁判長側からの法廷

裁判長側からです。天井が高くモダンな印象を受けます。

大法廷の大連ヤマトホテルの客室に似た天井

天井の造りが、大連ヤマトホテル(大連賓館)の創建時の客室(特別復元ルームとして公開中)の天井の造りに似ているように感じます。

大法廷 被告人席から裁判長席

被告人が立った場所と真ん中に裁判長とその左右に判官(ホウガン)と書かれた席があります。現在でいえば、裁判所長官と裁判官でしょうか。手前の一段低いテーブルには通澤官と書かれています。どのような役割か検索しても見つからないので、判明したら追記します。位置的に記録係か通訳と推測されます。

1階の法廷

1階の小規模な法廷です。1階には同じような小法廷が複数あり、現在と同じく大法廷と小法廷という構成だったと思われます。

玄関近くの廊下から陳列館側

今は固く閉ざさされている旧玄関から陳列館を眺めた様子です。右側は2階への正面階段です。陳列館から旧関東法院1階へ移動するとすぐ右手に大法廷へ上がる階段があり、さらに先へ進むと小法廷と思われる部屋が続きます。

1階展示室内の復元した護送車

1階は再現された小法廷以外の部屋は展示室となっています。復元された護送車です。室内に古写真もあわせて展示されているので比較してみると面白いと思います。他にも被疑者へ被せた編笠など護送に使用されたものなどが展示されています。

参考サイト
中村與資平記念館別館
亞細亞とキネマと旅鴉
地方法院(Wikipedia)
旅顺物语(日本关东法院旧址)(yanagi的个人主页
日本统治大连时期的警、宪、特及其司法--二审制法院时期的司法蓝天白云的BLOG
参考文献
『旅順歴史紀行―いま甦るセピア色の世界』 斎藤 充功・スリーエーネットワーク

アクセス / 地図

旅順バスセンターのすぐ裏にあります。バスセンターの出発口から徒歩約3分です。バスセンターから旧関東法院へ向かい最初に交差する道を北へ約1キロ歩くと旧旅順監獄があります。

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この投稿は 2011年2月5日 土曜日 5:32 PM に 観光・遊び・買い物, 観光 カテゴリーに公開されました。

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掲載日: 2011-02-05
更新日: 2013-02-08
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