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旧旅順民政署

旧旅順民政署

旧旅順民政署

大連市旅順口区長江路77号
竣工 1904年
設計 不詳
施工 不詳
海軍招待所のため入場、見学はできません。

旅順民政署

出典サイト:当年的大连[珍贵历史照片](爱卡汽车网)(中国語)

旧旅順民政署 入り口近く

1904(明治37)年にロシアが小学校として建築した建物です。翌1905年に旅順民政署として使用されるようになり、統括範囲は、旅順市と周辺の6箇所の事務所を含む76町、145村を管轄していました。
昭和に入り経済の中心が大連市へ移っていくと1937(昭和12)年11月に大広場(中山広場)に大連民政署(現シティーバンク)が設置されため分担して統括するようになりました。
旅順民政署は、最近まで専門の旅行社でも現存していることが認識されていなかったそうです。大連市内から旅順へ向かうバスの到着直前に右手にチラっと見えるのですが、奥まっているのと、建物を覆い隠すように樹木に覆われているので、気づきにくいからだと思われます。
現在は、海軍の招待所(ホテル)となっているため、海軍の軍人とその関係者、家族以外は入ることができません。入り口付近の写真は、門番の人にお願いして、1枚だけ撮影させてもらったものです。
古写真と比べると、正門からの階段が全く違うように思われます。ですが、入り口へつながる左右の階段は当時のままのように思われます。また残念なことに、この建物の一番の特徴といえる正面のペン先のような装飾も生い茂った樹木で確認が難しくなっています。
近くで見ると外観の保存状態は良好のようです。繰り返しですが、軍関係施設ですので、近づく際には十分ご注意ください。
ちなみに民政とは何か調べてみたのですが、正確な言葉の定義を見つけることができませんでした。戦前には民政党など政党名で使用されたことは、教科書等で習ったのですが、民間(文民)行政という意味だと推測されます。軍政の対義語として使われていたようです。
ご存知の方はご教授いただけると嬉しいです。
また、誤解されている方も多いのですが、大連、旅順は軍政統治されたわけではありません。本土同様に軍政統治色が濃くなるのは、昭和10年代半ばごろからになります。

プーシキン小学校時代のロシアの絵葉書

プーシキン(普希金)小学校時代の様子

建設時は、プーシキン(普希金)小学校として建てられました。この当時のロシアの学校建築の特徴をよく残しているそうです。ロシア語の説明が入った絵葉書のようなものが、現存しています。見ると、傾斜地に建物が建っており、周辺は何もなかったことが分かります。創建時の配色も想像できそうな感じです。
出典サイト:[贴图]旅顺与日俄战争(中国记忆论坛)(中国語)
参考サイト
中村與資平記念館別館
大连旧影(大连图书馆)(中国語/英語)
参考文献
『大連市政府指定 歴史的文化財50選-建築物-』 20世紀大連会議

アクセス / 地図

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この投稿は 2011年1月16日 日曜日 1:10 AM に 観光・遊び・買い物, 観光 カテゴリーに公開されました。

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掲載日: 2011-01-16
更新日: 2013-02-08
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