旧旅順高等公学校(旧旅順師範学堂)
旧旅順高等公学校(旧旅順師範学堂)
大連市旅順口区列寧街24号
竣工 1901年
設計 不詳
旅順師範学堂(1918年撮影)
出典サイト:大连图书馆(大连旧影)
ロシア統治時代の1901(明治34)年に旅順自由港政策の一環で作られた白い壁に黄色い線が美しい建物です。建物面積4,259㎡。1901年の統計によると旅順には373名のアメリカ人が滞在しており、建物はそのアメリカ人向けの雑貨店としてアメリカ人シェークス・ブロックが德泰号という店名で開業したと説明があります。
建物は旧市街の中心部で旅順ヤマトホテルの対面に位置しています。細長く当時としては非常に大規模な木造建築物だったことが分ります。
現在、旧跡名では旅順師範学堂や旅順高等公学校などと紹介されているものが多く見られます。1916(大正15)年以降は多くの教育関係の施設として活躍した歴史を持ちます。
確認できているだけでも、旅順師範学堂、旅順高等公学校、旅順師範公学校、旅順高等女学校などが入っていたようで色々な学校の校舎の一部として活躍していたと推定されます。
※最後の旅順高等女学校は資料が乏しく一時的な校舎として使用されたなど諸説あるようです。
資料を参照するとひとつの学校というよりも~科のように学科単位で使用されていたようにも読み取れます。
旅順師範学堂は東北地方初の中国人教師養成学校。旅順高等女学校は旅順、大連初の女学校として1945年までに約4,500人の卒業生を送り出しています。
戦後は旅順が返還される1955(昭和30)年までソ連軍に占領されて病院となりました。現在も同敷地内に解放軍215病院があり、ソ連時代の病院の流れを組んでいると想像できます。
参考サイト
大连新闻网-滨城(旅顺师范学堂旧址)
参考文献
『清朝の王女に生れて』 愛新覚羅顕琦・中央公論新社
『旅順歴史紀行―いま甦るセピア色の世界』 斎藤 充功・スリーエーネットワーク
『図説 大連都市物語』 西沢 泰彦・河出書房新社
『図説 満鉄―「満洲」の巨人』 西沢 泰彦・河出書房新社
アクセス/地図
<バス>大連市内からのバスが到着する旅順バスセンターからは約4キロ。旅順駅から約2キロ。
旧新市街である周辺には旧旅順ヤマトホテル、旅順博物館、旧関東軍総司令部、粛親王邸、旅順蛇博物館などがあります。
タグ: 旅順
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更新日: 2013-02-17
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