旧粛親王邸(肃亲王府旧址)
清朝八大親王の筆頭 粛親王の旧邸宅
大連市旅順口区新華大街9号
竣工 1900年
設計 不詳
粛親王邸 1920年撮影
出典サイト 肃亲王善耆旧居(大连新闻网-滨城大连)
1900年にロシア人経営のホテルとして建築。建物面積1058㎡。1904年までホテルとして使用された後、1905~12年までは関東軍民生部長官が使用。1912~1945年まで粛親王一族の邸宅として使用した建物です。
1932年には新京(長春)移動前の愛新覚羅溥儀が妻の婉容とともに滞在しています。
1945~55年前ではソ連軍進駐管理。1955年に中国返還。以降は人民解放軍が管理しているとなっています。
2000年に取材した『旅順歴史紀行―いま甦るセピア色の世界』にはちょっと高い重慶火鍋屋として経営していると紹介されています(正面2階長方形の白い枠に看板がかかっている写真もあります)。
建物の裏側の様子。
現在は使用されておらず、また管理されている様子もなく、残念なくらい朽ち果てています。肃亲王府旧址(鼎言商旅网)を見ると外観は改修工事で変更されているが、内部は保存されていると紹介されています。そのため、火鍋屋が終わってもしばらくは管理していたと思われます。撮影年度不明ですが、数年前とはとても信じられません。
1階室内の様子
敷地内には自由に入れます。ガラスが割れて建物周辺に飛びっているので歩くときには足下にご注意ください。
また、顕琦さんが建物裏にボイラー室があったと証言されています。敷地内の少し離れた場所にそれらしきレンガの建物の跡もみることができます。
川島芳子、愛新覚羅顕琦さん姉妹の実家
1918年生まれの愛新覚羅顕琦さんはこの家で生まれています。著書によると部屋は2階の203高地が見える場所だったようです。正面左側のどこかのお部屋だったのでしょうか。
文献やサイトによっては男装の麗人として知られる川島芳子の生家だと紹介されているものも少なくありません。川島芳子こと愛新覚羅顯㺭(けんし)は清朝末期の1907年北平(北京)生まれです。5歳のときの旅順へ一族で移動。1915年に川島浪速の養子として来日しています。そのため実質7年ほどしかこの邸宅では過ごしていないことになります。
その後、1922年粛親王が亡くなるときに養父川島浪速とともに半年ほど滞在。1927年に旅順ヤマトホテルでの結婚式や関東軍の軍人となった後も旅順へ寄っている記録が残っています。
また、戦後1945~48年逮捕されて北京へ移送されるまで旅順で過ごしています。しかし、戦後一家は邸宅を退去しています。芳子が旅順のどこに居を構えていたかは定かではありませんが、この時期の芳子はモルヒネ中毒に苦しんでいたといわれます。
2008年12月に黒木メイサさん主演でドラマ化されるなど過去に複数ドラマ化され何度目かの川島芳子ブームとなっています。そのため、関連本、サイトも多いので興味がある方は検索してみてください。
愛新覚羅顕琦さん
出典サイト 中国最后一位格格金默玉 (沈阳晚报数字报刊)
自伝本『清朝の王女に生れて―日中のはざまで』の初版表紙となった写真です。
2007年にはテレビへ主演(吉祥满族)されたり、2008年秋に姉川島芳子の生存説が話題になったときも新聞にインタビュー(新文化网)が掲載されています。※リンク先はともに中国語。
著書では1976年文化革命が終わりとともに農村での重労働生活も終結。鄧小平へ直接訴えて名誉回復させたところで終わっています。
その後も日本語学校を作りに日本語教育へ力を入れ、協力者や級友を訪ねるために日本各地を訪れています。沖縄で講演されたり、厚木市を表敬訪問したりと精力的に活動されています。2009年7月にお会いした方がその様子を中国大連生活・観光旅行通信**で紹介しています。
姉川島芳子は約一回り離れていることもあり、あまり記憶にないようです。また、お話を聞く限りは投獄、農村での重労働から解放された後も一度もこの生家を訪れていないようです。
粛親王 愛新覚羅善耆(ぜんき)1866 – 1922年
清朝初代皇帝ヌルハチから数えて10代目。2代皇帝ホンタイジの長男の子孫で代々粛親王を継承。八大親王と呼ばれる親王の中でも筆頭格の家柄といわれる。
清朝末期に御前大臣、民政大臣、理藩大臣などを歴任し北京には約3万㎡の土地を所有していたという。
清朝滅亡後は、清朝復興、立憲君主制を主張するようになるも北京を追われ、日本の援助を求めて、委任統治していた旅順へ一族で移住する。1922年に旅順で没する。北京の粛親王家墓所へ埋葬される。
正室1名、側室4名との間に王子21名、王女17名をもうける。
第七王子 愛新覚羅憲奎(金壁東) 新京特別市長、満州映画協会理事。
黒石礁に金壁東の邸宅と伝えられるものが残っています。
第十四王女 愛新覚羅顯㺭(川島芳子)
第十七王女 愛新覚羅顕琦
参考サイト
愛新覚羅美術館-豆知識-愛新覚羅一族家系図
中村與資平記念館別館
川島芳子(Wikipedia)
愛新覚羅顕琦(Wikipedia)
参考文献
『清朝の王女に生れて―日中のはざまで』 愛新覚羅顕琦・中央公論新社
『旅順歴史紀行―いま甦るセピア色の世界』 斎藤 充功・スリーエーネットワーク
『半島農報』 2009年11月30日
アクセス/地図
大連市内からのバスが到着する旅順バスセンターからは約4キロ。旅順駅から約2キロ。203高地へも約2キロ。
旧新市街である周辺には旅順博物館、旅順ヤマトホテル、旅順高等公学、旅順高等女学校、旧関東軍総司令部、旅順蛇博物館などがあります。徒歩で10~15分。
タグ: 旅順
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更新日: 2013-02-17
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GW中に行ってみたところ、改装中でした。
http://ameblo.jp/dalian-okoshi-yasu/entry-11247420260.html
綺麗になって見学できるようになるのでしょうか。
面影が変わりませんように
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ミラーカさん、
コメント有り難うございます。写真拝見しました。全体的に改装または補修しているように思われますね。火鍋屋がなくなってからの数年間で驚くほど朽ち果ててしまったので、常々残念に心を痛めていました。同じく、綺麗になって保存されることを願っています。ぜひ中の部屋を見てみたいものです。
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