旧旅順ヤマトホテル(旅顺大和旅馆)
旧旅順ヤマトホテル
大連市旅順口区文化街30号
竣工 1903年
設計 不詳
1908年に満鉄が旅順ヤマトホテルとして開業。開業当時は15部屋の小規模ホテルだったようです。この建物は元々ロシアと関係が深かった豪商紀鳳台の私邸を改良したものだと伝えられます。
出典サイト:旅顺的过去与现在(去年暑假拍的)(中国记忆论坛)
豪商の紀鳳台はロシアが大連、旅順を占領したときに大連、旅順へ一緒に入り活躍したといわれる豪商です。この旅順ヤマトホテル以外にも白玉街にあった私邸も西本願寺として使われました。
大連市内であれば、現在の希望広場の裏手松山台に紀鳳台の旧屋敷を劇場に改良した紀鳳台劇場というのが戦前まであったようです。1909(明治42)年旅順へ移動する前の伊藤博文の歓迎会が開催されています。しかし、昭和前半には使用されておらず幽霊屋敷として子どもたちに恐れられていたと『幻の大連』で紹介されています。
『図説 大連都市物語』の西沢 泰彦さんは旅順ヤマトホテルは元はロシアの建築物であると紹介しています。西沢さんはロシア統治を肯定的に、日本統治を全否定するお立場のようです。
旧旅順ヤマトホテル入り口
左右の赤文字のENTRANCEは当時のまんまっぽいですね。
2階フロントへ続く”くの字型”の階段
内部はほぼ未改装と説明があるので、階段は当時のままかもしれません。歴史を感じさせるしっかりとした作りです。2階建てであったためエレベータはなくフロント、部屋への階段はこの1箇所のみです。そのため、この階段を多くの歴史的な人物が利用したのでしょう。
参考サイト
大和旅馆(中国語版 Wikipedia)
旅順(りょじゅん) (★☆★くるざ上海★☆★)
旅順ヤマトホテルとゆかりある歴史上の人物たち
大連ヤマトホテルと比べると地味な印象な旅順ヤマトホテルですが、そんなことはありません。多数の歴史的な人物が関わったり、滞在しています。
時系列で紹介すると、
1909(明治42)年9月15日夏目漱石。
1927(昭和2)年11月川島芳子(愛新覚羅顯㺭/金璧輝)とカンジュルジャップの結婚式。
1928(昭和3)年5月与謝野晶子・鉄幹夫妻が2泊。晶子は旅順で旅順博物館、粛親王邸、203高地等を訪れ十一首残す。
1931(昭和6)年愛新覚羅溥儀が105日滞在。その後、粛親王邸へ移動。
1932(昭和7)年2月24日1階レストランで板垣征四郎と満州国建国を祝って乾杯を交す。
出典サイト:川岛芳子迷踪(新华网_传播中国 报道世界)
川島芳子の結婚式写真です。文献資料によると婚礼は2階で執り行われたそうです。妹の顕琦さんも参加されています。
旅順ヤマトホテルから軍の招待所(旅社)へ
開業時は全洋室15部屋だった旅順ヤマトホテルは1929(昭和4)年改装工事で49室へ大拡張します。
さらに別に1918(大正7)年には海岸に夏季限定の別館黄金台ヤマトホテルを19室。貸別荘を19棟営業します。これらの別館、貸別荘もそれぞれ同年に60室、37棟と拡張されています。
終戦後、1955年までソ連統治を経て返還。1977年に大規模な改修工事を実施。屋根裏部屋を改修し、3階部分を増築しました。ヤマトホテル時代の屋根の装飾、煙突、時計などが撤去されて、外観が大きく変貌したのはこのときの増築工事の影響だと思われます。
参考サイト
ヤマトホテル(Wikipedia)
出典サイト:大连大和旅馆之二(中国记忆论坛 )
少しアングルは異なりますが、比べると外観が全くといっていいほど異なってしまっていることが分ります。
共通点は入り口、窓の枠などです。そして、2階のベランダも当時のままのように思われます。こっそりと行けば、ここから当時と同じ風景を見ることができます。漱石や溥儀はここからどんな旅順を眺めたのでしょうか。
現在、招待所(ホテル)1部分は商店や火鍋屋などの飲食店が営業しています。溥儀たちはどこで祝杯を挙げたのでしょうか。今では全く想像もできません。
入り口入って左側にあるヤマトホテル紹介文
フラッシュが反射しちゃっています・・・・・。建物内の説明文には1906年満鉄にてヤマトホテルの営業が始まるとあります。中国語サイトをみると同じく1906年開業となっているものが多くあります。一方で、日本側の文献、資料、サイトでは1908年開業となっているものがほとんどです。どちらが正しいのでしょうか。
旅順ヤマトホテル1泊ハウマッチ?
1926(大正15)年のパンフレットによると、ホテル内には食堂、応接室、喫煙室、ビリヤード室などがあり、一泊シングルで3~30円。ツインで6.5~30円。食事代は別で、朝食1.5円。昼食2円。夕食2.5円だったようです。
宿泊料はかなり差額がありそうですね。最高額の30円の部屋は今でいうスィートルームといったところでしょうか。現在ではどのようになっているのでしょう。
注意点
旧旅順ヤマトホテルは現在は軍の招待所(ホテル)となっているため原則外国人は中へ入ることも宿泊もできません。
中は残念な限りで宿泊客がいるとも思えない状態です。トラブル等になる可能性もあるので、個人で行かれるときはご注意ください。
一部情報では日本人でも泊まることができるといわれたという人もいます。もしかすると中国語が流暢であればこっそり泊まらせてくれるかもしれませんね(保障はできませんが)。
参考文献
『旅順歴史紀行―いま甦るセピア色の世界』 斎藤 充功・スリーエーネットワーク
『幻の大連』 松原 一枝・新潮社
『図説 大連都市物語』 西沢 泰彦・河出書房新社
『図説 満鉄―「満洲」の巨人』 西沢 泰彦・河出書房新社
アクセス/地図
大連市内からのバスが到着する旅順バスターミナルからは約4キロ。旅順駅から約2キロ。旧新市街である周辺には旅順博物館、旅順高等公学、旅順高等女学校、旧関東軍総司令部、粛親王邸、旅順蛇博物館などがあります。
タグ: 旅順
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更新日: 2013-02-17
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