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旧大連駅(初代)

旧大連駅(初代)

大連市西崗区勝利街46号
竣工 1903年(または1907年)
設計 不詳
1903(明治36)年または、1907(明治40)年に開業した初代大連駅です。この駅舎は仮駅舎として1937(昭和12)年に現在の大連駅が完成するまで使用されたものです。
当時の大連の中心部であったロシア街近くに建てられています。その後30数年の大連の発展で街の中心が現在の勝利広場の方へ移ってきたため現在の位置へ移動したと思われます。駅舎入り口の方角も南北逆になっています。
仮駅舎としながらも30年以上使用されたのは南満州鉄道株式会社(満鉄)の資金不足が原因だったといわれています。
第二次重点保護建築に指定されています。そのため簡単に壊すことができなくなっています。
中を覗くと物置場のようになっています。仕事用の机なども並べられているので現役の職場として活躍中のようです。

旧大連駅を右側から

窓枠の色が水色とおしゃれな感じです。当時からの装飾なのでしょうか。
資料を調べると1903年1月開業としたものと、1907年としたものがあります。前者であれば、ロシア時代の建物であり、後者であれば日本時代に建てられた建物となります。
2003年に現大連駅北側駅舎の完成を大連駅開業100年としていました。大連の認識は1903年開業のようです。

旧大連駅の駅舎全体の様子

非常にこぢんまりとした駅舎です。真ん中ののドアが入り口だったのでしょうか。駅にしては入り口のスペースが狭い感じです。
同時期に開業した旅順駅と比べてみると同規模くらいです。
内部は建物の入り口からそのまま直進して当時のプラットフォームへ抜けられる構造のようです。

フォーム側からみた旧駅舎

ちょっと薄暗くなって怪しげな雰囲気プンプンですが、フォーム側からみた駅舎です。現在も1番フォームに隣接しています。そして、この1番フォームが初代大連駅のメインのプラットフォームだったと思われるフォームです。
今でも内側から旧駅舎へ近づけるのですが、見つかると駅員に注意を受けることもあります。

フォーム側からの旧大連駅

明るいうちに撮り直しました。改めて観察すると駅舎に改札口と思われる扉がないようです。同時期に作られた旅順駅は中央に駅舎への入り口がありますが、一体初代大連駅はどうやって乗客を通したのでしょうか。

現役時代のプラットフォーム側からの様子

旧大連駅。プラットフォーム側からの建物

出典&参考サイト:中村與資平記念館別館
『満洲土産写真帖』1921年
この駅舎を利用した有名人は伊藤博文、与謝野晶子、与謝野鉄幹夫妻、愛新覚羅溥儀、張作霖、周恩来などがいます。
1934(昭和9)年から大連から新京(長春)まで走った超特急あじあ号もここの旧大連駅から出発しました。
「たうんまっぷ 大連」を見ると入舟駅(旧大連駅)と記載されています。現在の大連駅完成後も使用されていたのでしょうか。

現在の様子。似たアングルで撮影してみました

似たようなアングルで撮影してみました。現在ではプラットフォームを覆う屋根に隠れてしまっています。残念ながら旧駅舎を真っ正面から見ることはできないようです。
屋根の部分しか見えないのですが、見比べると中央の煙突が一本なくなっていることが分かります。
観光ガイドや中国語サイトにもあまり情報がないマニアックな場所ですが、鉄道好きでなくても歴史と魅力を感じる建物だと思います。

アクセス/地図

 

大連駅北口前の勝利街を少し右手(ロシア街側)へ歩き建物に挟まれた細い路地を線路側へ曲がるとあります。建物に囲まれるようにひっそりと存在するのでうっかりする見逃してしまいそうです。
ロシア街がある旧日本橋(勝利橋)まで徒歩5分くらいです。
<バス>7、13、30、31、39、101、408、414、531<電車>201軽軌三号線 大連駅(大连火车站)。527、541 大連駅北広場(火车站北广场 )。それぞれ徒歩5~15分。

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この投稿は 2010年3月17日 水曜日 6:04 PM に 観光・遊び・買い物, 観光 カテゴリーに公開されました。

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掲載日: 2010-03-17
更新日: 2013-02-17
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