旧東清鉄道汽船会社 事務所別館
大連市内最古の建築物で数少ない公的機関で使用される旧東清鉄道汽船会社 事務所別館
大連市西崗区勝利街
竣工 1902年
設計 不詳
施工 不詳
後の南満州鉄道株式会社の前身である東清鉄道汽船会社の事務所別館です。社屋は正面左側、ロシア風情街の正面にある現大連芸術展示館です。しかし、社屋は復元されているため、建築当時から残っているのは別館のみとなります。現在は、瀋陽鉄路局大連工務段として100年以上経過した現在も鉄道関係で使用されています。
この建物の歴史的価値は、大連市内最古に近い建築物であり、おそらく、唯一の公的施設として現役で使用されている建物であることです。近代大連の創世記の貴重な建築物です。
東清鉄道関係の建物はドイツ人建築家が設計を担当したのでドイツ風ハーフティンバー様式が多く建てられていますが、この旧別館は、北欧風ルネサンス様式で建てられています。
建物正面に掲げられている大連市の順保護建築のプレートです。
ロシア風情街に現存する貴重な建物の1つとして現在に伝えられています。初代大連市役所(1900年)、市長邸宅(1900年)から2年後の1902年に建てられています。日本時代にどのように使用されていたかの資料は見つからないのですが、満鉄関連で使用されていたと推測されます。すぐ北側には黎明寮との記載が「たうんまっぷ 大連」で見ることができます。
出典サイト 大连历史图片(50p)_宁然的百度空间相册(中国語)
現在の中山広場側から撮影された古写真です。左の社屋と右の別館が鮮明に写っています。現在と比較すると左端(おそらく左右対称なので右端も)が楼のようになっていたようです。後から屋根と形状が改修されています。
左奥にうっすらと見える建物が、初代大連市役所です。旧日本橋(1907年)ではなく、初代ロシア橋か、日露戦争でロシア側に切り落とされた後に架けられた仮橋と思われるので、撮影時期は1907年前と推測できます。
出典サイト シベリア鉄道
西シベリア経由欧亜交通略図と題された古地図です。大連からパリまでつながっていることが分かります。右端の日本への赤い点線は航路です。T字型の南満洲支線はハルピン、長春、奉天(瀋陽)、大連を結ぶ772キロが1903年に完成しています。同支線開通半年後に日露戦争が勃発します。
参考サイト
【SBF】上海ビジネスフォーラム
戦跡の歩き方
アクセス / 地図
タグ: 大連駅周辺
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更新日: 2012-07-26
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