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大連ITクラブ会長 牛島 五郎さん

牛島五郎さん

IT界束ねて50回超える例会 2か月に1回の開催を継続 人柄で参加者をひき付ける

 日系企業や日本と関連の深いIT界の関係者らで結成する大連ITクラブの例会が節目となる50回を超えた。大連IT産業の草創期に発足し、これまで情報交換や交流を深めるなど、大連市政府も認める民間団体に成長した。このクラブを当初から牽引して来たのが会長の牛島五郎さんだ。50回の歩みや今後についてインタビューした。

 日系企業や日本と関連の深いIT界の関係者らで結成する大連ITクラブの例会が節目となる50回を超えた。大連IT産業の草創期に発足し、これまで情報交換や交流を深めるなど、大連市政府も認める民間団体に成長した。このクラブを当初から牽引して来たのが会長の牛島五郎さんだ。50回の歩みや今後についてインタビューした。

――大連ITクラブは2010年10月に第50回例会を迎えました。私も設立しばらくしてから参加させていただいていますが、よく50回目を迎えられましたね。生みの親としては感慨深いものがあることでしょう。

 「もう50回まで来たのか、という思いですね。休まず2か月に1度の例会を開いて来た積み重ねです。当初は13人で始めましたが、今では毎回50人から60人が参加しています。2010年最後の第51回例会と忘年会には過去最多の約100人のみなさんが出席しました。例会も忘年会も盛大で感無量です」

――第1回例会は2002年8月に森茂ビルで開催されましたが、どのような経過で発足したのでしょうか。

 「当時は大連ソフトウェアパークが誕生したばかりで、日本からもIT関連企業が大連に相次いで進出して来ました。そのころ開かれた大連日本商工会の市内分会に参加したところ、ITに携わる人たちが20人ほどいたことがわかりました。しかし、横のつながりはなく、個別に問題解決をしていたのです。それでは同じ業界の人たちが集まって情報交換し、交流も深めようと、私や副会長の三上吉彦さんらが呼びかけて大連ITクラブを発足させたのです」

――それにしても長続きして会員も増えていますね。

 「自由なスタイルが多くの人に支持されていると思います。面倒な入会手続きはいっさいなく、誰でも参加できるのです。今はどんな業種でもパソコンなしでは成り立ちません。ですから誰もがITにかかわっていて、程度の違いこそあれ、共通テーマを持っているといえます。また、会費もなく、必要なのは懇親会費の50元だけです。幹事は会員の持ち回りで、会社の宣伝や課題をテーマに自由に選ぶことができます。無償で情報交換できる場として有効活用ができるのが特徴です」

――オープン形式のクラブ運営はユニークですね。

 「以前、ある企業の方が会費制でやろうとしたことがありました。しかし、人は集まりませんでした。またITと言っても幅が広いので部会をつくろうとしたこともありますが、音頭をとる人がいなくて、いまのスタイルが定着したのです」

――ところで牛島さんは大連から日本に戻り、大連ITクラブの例会がある2か月に1回、大連へいらしているんですね。

 「大連では日本語教師を務めた後、大連華信や海輝、東軟など地元の大手IT企業にも勤務していました。2004年には10年間にわたって女房と一緒に暮らした大連から日本へ戻り、現在は横浜に住んでいます。その後はITクラブの例会にあわせて大連に来ています。大連では囲碁の愛好サークル『大連市碁悦同舟会』の副会長を務めていますので、こちらに来た時には仲間たちとの対局も楽しみにしています」

――大連から離れても縁は切れませんね。

 「私は大連の金州生まれで、幼いころに母を金州で亡くし、祖母も旅順で亡くなっています。ですから、いまも大連に来ているのは因縁があるということでしょうね。会社のOBが時々集まって近況報告するのですが、いまだにITクラブの会長として業界の方々とかかわり合っている私を、みんなうらやましがっています。趣味の生活や町内役員をしている方が多いようですから」

――今後のITクラブの活動についてお聞かせください。

 「コンピュータの世界はフレーム時代からサーバー時代、web時代と15年サイクルで変貌してきました。これからは第四世代であるクラウド時代にシフトして行こうとしています。こうした変化の激しい動きの中で、会員相互が情報を交換し、ともに学んで発展できるようにクラブの活動内容も時代に即して充実させて行きたいと考えています」
経歴
牛島 五郎さん
 1933年2月に大連市金州区で出生。中学1年で終戦を迎えて日本へ引き揚げたが、結核を患い闘病生活を送る。退院後に大学検定試験にパスし、1964年に日本IBMに入社。30年間の勤務でシステムエンジニアやマーケティング営業企画などに携わった。退職後は日本語教師の資格を取得し、大連で日本語教師となり、3年後には地元のIT企業の顧問などを務めた。現在は大連コンピュータコンサルティング代表。
【取材を終えて】
今後も重鎮として指導力を
 牛島さんと出会ったのは、私が大連へ来たばかりの9年前だった。大先輩でもあるのにかかわらず、 偉らぶらず自然体で接してくれたのを覚えている。そんな関係から「例会に出て来たら」と大連ITクラブの発足直後に誘っていただいた。何度か出席したものの、途中で長期欠席が続いて1年半前から再び例会に出るようになったが、充実した活動内容には目を見張るものがある。これも牛島さんの自然体と、パートナーである三上吉彦さんとの二人三脚のなせる技と言えるだろう。これからも大連の日本IT界の重鎮として指導力を発揮していただきたい。

この投稿は 2011年1月18日 火曜日 12:48 AM に Whenever誌面コンテンツ, 巻頭インタビュー カテゴリーに公開されました。

コメント / トラックバック3件

  1. m.中村 より:

    メールが通じないので、ここでご案内いたします。
    「囲碁の会」、今月は9月26日(金)13:00~です。
     

    なお、新しいメールアドレスをご連絡いただければ幸いです。

    • 慶次郎 より:

      >m.中村さん、
       コメント有り難うございます。

       「囲碁の会」のお知らせは誰に向けてのご案内なのでしょうか。私たちで連絡できそうな人であれば連絡をさせていただきます。お伝えいただければ幸いです。

  2. m.中村 より:

    先にメール発信しましたが、拝読いただけませんでしたでしょうか?

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掲載日: 2011-01-18
更新日: 2014-09-19
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