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第51話 西岡 奈々恵 物語
遺志を継いで模範店づくりに挑戦
実績生かして「王将」ブランドを
大連に来てまだ2か月余ほどしか経っていない。長く暮らした北京、天津とは違う世界に戸惑いもある。その一方で、時計の針が戻ったような、どこかに懐かしさを感じ、これから始まる人生にわくわく感を覚える。「餃子の大将」三八広場店店長の西岡奈々恵。チェーン店「餃子の王将」の模範店としての体制を作り上げるため、てこ入れ要因として乗り込んできた。
「王将を多くの中国人に知ってもらい、『餃子の王将』のフランチャイズ店を経営したい、という人を増やしたい。そんな大東社長の遺志を受け継いで、モデル店をつくりたい」
昨年12月、京都市の本社前で凶弾に倒れた大東隆行。中国に暮らす西岡を励まし、気遣ってくれた、優しい存在だった。大東への想いを胸に、北京の日系飲食店を立て直してきた経験と実績を生かし、大連での新たな挑戦が始まった。
高校まで絶対的な存在だった母
西岡は1980年(昭和55)、大阪市堺市諏訪ノ森に生まれた。家族は空調設備業の父、顕一郎と専業主婦の母、清恵、そして3歳下の弟、和之の4人。この地に7歳まで暮らしたが、ほのぼのとした思い出が、いまも体温として体に残っている。秋の堺まつりに家族4人で出かけ、浴衣を着た西岡は両親と手をつなぎ、夜店をのぞき込んでは、「買って」とねだった。仲睦まじい家族の姿がそこにあった。
一家は奈良に引っ越し、西岡は富雄南小学校に入学した。幼いころの西岡は引っ込み思案で、自分から目立ちたくないタイプ。しかし、清恵は大阪のお嬢様育ちで、何事にも明るく積極的な性格であり、清恵は西岡にとって絶対的な存在だった。そのひとつが、私立中学受験のための進学塾通い。放課後は毎日、塾に直行して勉強に打ち込んだ。嫌だったが、反発する理由もなく、言われるままに通い続けた。顕一郎も勉強面では厳しかった。無言で成績表を見る顕一郎に、怖さを感じていた。
中学校は大阪の私立女学校を受験したが、不合格となってしまった。実は幼稚園、小学校も私立を受験し、いずれも失敗。後に西岡が大きくなってから、清恵と当時を振り返ったことがあった。いくら押し付けてもダメ、本人のやる気が何よりも大切なことを、親子で再認識した。
受験の失敗で、気持ちが吹っ切れた。引っ込み思案の性格は、明るく振る舞えるように変わり、友だちと冗談を言って笑えるようにもなった。部活動は新聞部に入り、1人で学校新聞を毎月、作り上げた。校内の話題を文章にして、絵を切り貼りしてデザインにもこだわった。「新聞記者になって、阪神タイガースの新庄剛志選手と結婚したい」。思春期の乙女らしい動機もあった。
高校は自ら選んだ京都の私立女子高に入学。清恵は諦めもあったのか、勉強でこまごまと言うことは少なくなっていた。しかし、帰宅時間にはうるさかった。通学は奈良の自宅からバスと電車を乗り継いで片道1時間半。〝帰宅部〟だったが、いくら急いでも家に着くのは午後5時半過ぎになってしまう。暗くなる冬場は、清恵が仁王立ちで帰りを待ち受け、「遅い!」と怒り付けた。高校になっても清恵は絶対的存在だった。
天津に留学して切り開いた進路
高校2年生の時、人生の進路を左右する出来事があった。顕一郎は友人の息子が天津に留学することを聞き、「南開大学に編入できるらしい。お前も行ってみるか」と、軽く勧めてきたのだ。西岡は神戸の女子大に憧れていたが、「また落ちるのでは」との恐怖感もあった。その年の冬、西岡と清恵、和之の3人で天津商学院を下見に訪れ、その時に「ここに留学しよう」と決意したのだった。
南開大学は裏千家と提携し、天津商学院のキャンパス内に裏千家の短大を開設していた。留学はまず、裏千家の短大に入り、中国語と茶道を学び、3年目に南開大に編入するというものだった。西岡は高校卒業後、裏千家の短大に留学して2年間でHSK6級を取得、晴れて南開大の留学生本科へと進んだ。後に顕一郎とこの留学について話したことがあった。「どうせ途中で泣いて帰国するだろうとタカをくくっていた。しかし、いつまでたっても帰ってこない。後悔したのは私だった」。顕一郎はこう告白した。
留学生本科は、韓国人8人とベトナム人と西岡の10人。その中でも西岡の語学レベルは抜きん出て劣っていた。クラスメートからは軽んじられたが、これが西岡のバネとなって猛勉強。半年過ぎたあたりで中国語はクラストップの実力になっていた。卒業を前にしたところでSARS(サーズ)騒動が起きた。心配する両親は帰って来い、と催促してきたが、中国語の勉強が面白くなった西岡は、そのまま北京に残って就職する決心を固めた。2003年(平成15)6月のことだった。
知り合いが紹介してくれた北京郊外にある名門ゴルフ場の日本人対応スタッフとして入社。日本人支配人は、西岡をお姫様扱いで迎え入れてくれ、日本人のお客からも可愛がられ、営業成績を伸ばして行った。そんな西岡に2年後、引き抜き話が舞い込んだ。北京の有名ビジネスビルの管理会社で、給料は2倍以上だったこともあり、転職を決意した。
このビルには日系企業など108社が入居していたが、仕事はほとんどない。西岡は持て余す時間の中で、「私にできることはないものか」と仕事を探し、自らの発案で入居各社の緊急連絡網を1人で作り上げた。それも2か月で完成してしまい、再び仕事のない時間を過ごすことになった。そんな時、しびれを切らせた顕一郎から「帰って来い!」との声がかかり、2006年(平成18)9月に退社して帰国した。
北京の飲食店を売り上げ増に導く
清恵と2人でアパレルのインターネット販売をやることにし、翌月には北京に戻って商品を仕入れて素人ビジネスをはじめた。しかし、中国への未練も引きずっていた。やり切ったという充実感がなかったのだ。「もう一度、中国でチャレンジしたい」と、顕一郎に内緒で3か月足らずで北京に戻ったのである。その4か月後、北京の高級ホテル内にある日本料理店に店長として入社、着物姿でホールを仕切った。
ところが、それまでの〝お姫様仕事〟とは全く違う。頭を下げ通しで、客の食べかけた皿も下げなければならない。西岡のプライドが許さなかった。「もう無理や」と、電話で清恵に泣きついた。帰ってきた清恵の言葉で目が覚めた。「あんた、ちょっと違うで。自分の仕事に胸を張って生きいな」。西岡は部下のスタッフに「仕事を教えて欲しい」と頭を下げ、正面から仕事に向き合うことに、心を切り替えたのである。
もともと日本人としての礼儀、接待は身につけている。1か月もすれば手順を覚えて、お客たちから可愛がられるようになり、当時の日本大使館大使から、公邸に招待されたこともあった。契約期間の3年を満期で迎えた。歴代の店長の中には2か月で辞めた人もいて、満期で勤め上げたのは西岡が初めてだった。売り上げも大幅に増やして、初めて「やり遂げた感」を実感することができた。
次に就職したのは、北京で新たにオープンする居酒屋だった。西岡は想定売り上げを3倍にすると、オーナーに約束した。だが、オープンしてから3か月間は、料理がまずい、との悪評判が広がってしまった。西岡はメニューを変え、味も変えた。その基礎となったのが、母の味だった。半年も経つと美味しいとの声が聞かれるようになり、8か月後には売り上げが3倍に届いていた。西岡のビッグマウスではなかった。店内は毎晩、満席となり、中国人客も増えてきて売り上げも高水準を維持していた。しかし、刺激が感じられなくなり、2年間で辞めた。
2013年の年明けには、中国人姉妹が経営する日本料理店に店長として就職。しかし、経営者からはすべてを否定された。日本式サービスに、日本料理のメニューと味。ストレスを感じるようになり、精神的にボロボロ状態で3か月後には逃げるように店を去った。2013年春、初めて味わった挫折感だった。
間髪入れずに今度は焼肉店に、店長として迎え入れられた。ホール15人をまとめ上げ、西岡を中心にして動く「チーム奈々」が誕生し、半年で売り上げを50万元以上伸ばした。しかし、ボスと折り合いが合わず、半年余りで辞めることになってしまったのだ。
焼き餃子を食べる中国人客に感動
さて、次の仕事はどうしようか、と考えていたときだった。清恵から携帯にメールが入った。「王将の大東社長が射殺された」。昨年12月19日のことだった。大東と顕一郎は知人で、大東は度々、中国を訪れ、西岡が北京で働いていたとき、「元気にやっているか」と一緒に食事をしながら励ましてくれた。西岡が帰国したとき、本社の社長室で話したこともあった。そんな後継人でもある大東の悲報に足が震える思いだった。
今年1月になって、これまでも幾度となく声をかけてきた「王将」の高橋義弘常務から電話がかかってきた。「中国でのチェーン展開のために私と協力してくれないか。まず大連の三八店をモデル店として作り上げるためやってもらいたい」。西岡に迷いはなかった。大東の夢を受け継いで、大連に王将のブランドを確立させたい、そして中国でのチェーン店をつくりたい、大東に喜んでもらいたい、そんな気持ちがこみ上げてきた。
天津4年、北京11年の生活に終止符を打ち、大連入りした。仕事の目標は明確だ。「大東社長の夢ために」。どうすればこの地に受け入れてもらえるのか、いまは模索の真っ最中にある。だが、その糸口も見えてきたような気がする。焼き餃子は東北人に好まれないものと思っていたが、黙々と焼き餃子を食べ続ける中国人客の姿に感動した。
「王将の焼き餃子として、この大連でも認められるに違いない」。西岡は確かな手応えを感じ始めている。
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更新日: 2014-05-09
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